☆☆ BB's Blog ☆☆ KV 2

ぼくの名前はBBです。「悪いヤツ」と呼ぶ人もいます。でも、犬には「いいヤツ」だと思われているかもしれません。これでいいのだ。バカボンのパパなのだ。ちなみに、バカボンもBBみたいですが、ぼくはバカボンとは別人です。

29 July 2008

ひとの弱さと罪


今から2年ほど前、サザン・オール・スターズの元ギタリスト大森隆志の横浜市内の自宅を警察が調べた際、覚醒剤10グラムと大麻40グラムが見つかった。覚醒剤所持で裁判になると、初犯の場合はたいてい執行猶予付きの有罪になる。大森も初犯だったから刑務所に入らずに済んだ。しかし、彼が所持していた覚醒剤の量は10グラムだったから、これは場合によっては営利目的と判断されかねない量になる。営利目的となれば、初犯でもまちがいなく刑務所ゆきだ。裁判所における通常の基準によれば、10グラムというのは300回分ほどの量になるのだ。末端価格でおよそ60万円くらい。完売できれば浅草の花やしきで193回も遊び放題。不二家のイチゴパフェなら750個も食べられる。

いや、そんな話をする予定じゃなかった。大森は創価学会員だったらしいが、創価学会という宗教社会では、信者の病気が治ったり商売が成功したりすると、「ご利益があった」ということで学会のありがたさが強調され、何か不都合なことが起これば、「信心が足りない」とか「お布施が足りない」とか言われて責められるらしい。福音派プロテスタント教会では想像もつかないような世界だ。創価学会という世界では、上層部の人間が何をやってるかは別としても、末端の信者の場合、大森のようにバレるような犯罪を犯す人間がけっこう多いらしい。そんな場合に学会自体はどう対処するかというと、どうやら「信心が足りない」ということで見捨てるようだ。つまり、そんな犯罪人など創価学会とは関係ありませんよってなことで済ましちゃうらしい。

福音派プロテスタント教会の会員が覚醒剤所持で逮捕されるってのは、ちょっと想像するのさえ難しいけれど、仮にそういうことがあったらどうなるだろう。「信心が足りない」ということでその人を責めるようなことはしないはずだ。そもそもキリスト信仰というのは、自分の罪を深く自覚した人だけが得られる信仰である。たとえ信者として模範的に数十年を生きたとしても、自分の信心を誇るようなことをしないのがキリスト者なのだ。キリスト者であれば、もし自分に何か良いことができたとしても、それはただイエス・キリストの愛のゆえであるとおもうのが普通だ。きのう話した青函連絡船の宣教師にしても、自分が特別に立派なクリスチャンだという自覚はなかっただろう。

福音派プロテスタント教会から犯罪者が出た場合、その人を教会の恥として追放するようなことは決してしないに違いない。むしろその人に近づき、その人のために祈り、その人がキリストによって立ち直ることを願うだろう。
医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。(ルカ5:31 - 32)
いつもイエスが当時のユダヤ社会で見下されていたような者たちのそばにいるものだから、それを非難するかのようにユダヤ社会のエリートたちがつぶやくのを聞いたときに、イエスはこのように言ったのだ。この言葉の中にある「罪人(つみびと)」というのが誰よりもまず自分自身であることを、この世で生きる限り決して忘れないのがキリスト者である。ニーチェのような哲学者はそのようなキリスト信仰を弱々しいものとして見下していたようだが、キリスト者にとっては、弱いとか強いとかは問題にならないのだ。ユダヤ社会のエリートとしてキリスト者を迫害していた頃のパウロならば、きっとニーチェと同じようにキリスト信仰を見下したに違いない。しかし、そのパウロもキリスト者となってからは、「私が弱いときにこそ、私は強いのです」と言ったのだ。自分の弱さに気づいて惨めになることもないし、自分の強さを誇ることもしない。それが2千年前から変わらないキリスト者の生き方だ。

最近、ぼくの話の中によくキリストが出て来るようだけど、それはなぜかというと、平和運動に関係しているような日本人の中でさえ、キリスト教を平然と非難する声をよく耳にするからだ。マハトマ・ガンジーも現実のキリスト教徒に対しては厳しく批判することがあったようだけれど、イエス自身を批判することはなかった。それどころか、ガンジーの非暴力主義にはイエスの影響を無視できないようにおもう。福音派プロテスタントのクリスチャンにとっては、キリスト教とは宗教ではなくイエス・キリストそのものと表現してもいい。こういうことがクリスチャンでない人に理解できないのは当然だとおもう。だからガンジーを尊敬するような人でさえ平気でキリスト教を非難できるのだろう。

ぼくは何もキリスト教を非難するなと言ってるのじゃないし、創価学会の真似をして自分らを批判する者を迫害しようなんて予定は全くない。キリスト教を非難したけりゃ自由にするがいいとおもっている。キリスト教が単なる哲学や道徳にすぎないのなら、放っておいてもそのうち消滅するだろう。ただ、平和運動をするというのなら、キリスト教などを非難する暇があったら、ほかにもっと有益な時間の使い方があるのじゃないだろうか。そんなふうに感じているだけなのだ。そういえば、創価学会も組織的に「平和」を叫びながら、よくキリスト教を非難しているらしいね。


今日のビデオ:Jewelry day
-- 絢香

28 July 2008

サルトルの『ユダヤ人』


岩波新書に『ユダヤ人』というのがある。著者はあのサルトルだ。翻訳者が生きていれば今年81歳になるようだから、ぼくは余り厳しいことを言いたくはないのだけれど、ここだけの話、ひどい翻訳だとおもった。その原因としては、とりあえず3つ考えられる。1)翻訳者の日本語による作文力に問題があった。2)原書自体の内容に問題があった。3)ぼくの読解力に問題があった。

ぼく自身は1)の可能性がいちばん高いようにおもっている。若い頃いろんな哲学書を読んだけれど、なぜかサルトルには興味がなかった。だからフランス語で『ユダヤ人』の原書を読んで確認しようという気分にもなれない。日本人の中にはいまだにサルトルファンが多そうだから、こんなことを言えば面白くないかもしれないが、彼の哲学はぼくの人生においてはほとんど意味がない。何か意味があるとすれば、彼の哲学に影響されるような現代人の精神構造を理解する上でヒントになるくらいだろうか。

ぼくがサルトルの『ユダヤ人』を読んでみようとおもったのは、フランスを代表する知識人がユダヤ人問題をどう考えているのかを知りたいとおもったからだ。だから、ある程度は時間をかけてじっくり考えながら読むつもりだった。ところが、すでに言ったように、ひどい翻訳なのだ。それでも、ぼくは一度読み始めた本をそう簡単には見捨てないから、途中から読むスピードを上げて、とにかく最後のページまで読み通した。おそらく1時間くらいで読み終わっただろうか。結局、読後感はどうだったかといえば、期待したほどのものではなかったというのが、正直な感想になる。

サルトルはこの本の真ん中あたりで「ユダヤ人を創造したのは、キリスト教徒であると言っても決して言いすぎではない」と書いている。つまり、反ユダヤ主義の原因がキリスト教徒にあると言ってるわけだ。そんな話なら何もサルトルから聞くまでもなく、多くの(特にキリスト教嫌いの)人々の口から同じように飛び出すにちがいない。サルトルが「キリスト教徒」と書くとき、それはフランスで(あるいはヨーロッパで)クリスチャンと呼ばれている人々のことを言ってるのだろう。お寺で葬式をする日本人のことを仏教徒と呼ぶようなものだ。

おそらくキリスト教徒に対する批判を始めるとすれば、無神論者のサルトルよりは、ぼくのほうがずっと強烈に批判するようなことになるかもしれない。ぼくのキリスト教徒批判は、ぼく自身の哲学や思想や道徳に基づいてやるのではない。ぼくが自分のことを立派なクリスチャンだとうぬぼれているからやるのでもない。新約聖書の中でイエスや使徒たちが、のちにクリスチャンと呼ばれる人たちに向かって言い残していたことを、ただ繰り返しているにすぎないのだ。

サルトルはキリスト教を否定する立場からユダヤ人問題を扱っているが、そもそもユダヤ人こそが同胞のイエスや彼に従う者たちを迫害したという歴史をどう考えていたのだろうか。自称クリスチャンの中には、これを理由にユダヤ人差別を正当化するような連中が混じっていることくらい、ぼくも知っている。ぼくはそんなものを支持しようとしているわけじゃない。初代教会の時代、クリスチャンと呼ばれる者たちの多くが、残虐な暴力を受けても決して暴力で仕返しをすることなく死んでいったのである。彼らは聖書に書かれたイエスや使徒たちの教えを守ったのである。こういう事実があったからこそキリスト教が現在にまで伝えられているのである。これを無視して一方的に反ユダヤ主義をキリスト教のせいにするとすれば、フェアな議論とは言えないだろう。

南ドイツにあるオーバーアマガウ(Oberammergau)という村は現在でも人口5千人ほどの小さな村だ。ここでは10年に一度、村を挙げてのキリスト受難劇を行なっている。17世紀から続く伝統だ。その劇に対して,ユダヤ人差別だとして非難したユダヤ人たちがいた。その運動の音頭をとったのはニューヨークに本部を置くユダヤ組織らしい。村人たちはただ聖書の福音書に書かれてあるとおりに忠実にキリストの受難を劇にしているにすぎない。役者のセリフは聖書にある表現のままだと言ってもいい。ニューヨークから強大な組織をバックにわざわざドイツの小さな村にまでやって来て、10年に一度の村人の祭りに茶々を入れるとは一体どういう信条で生きている人間なのだろう。言論・表現の自由などという大げさなことを出すまでもなく、ぼくには不可解でしょうがない。

ナチスがドイツを支配していた頃、オーバーアマガウの村には、ユダヤ人を密かに助けようとした人々がいた。彼らはサルトルのような無神論者ではなく、キリスト者たちだったのだとおもう。無神論者の中にも、自分のいのちを犠牲にしてまで他人を助けようとする人はいるだろう。しかし、ぼくの知る限り、地上における自分のいのちよりも貴いものを信じてひとを助けたのは、キリスト者たちだった。1954年、台風で青函連絡船「洞爺丸」が沈んだとき、救命具を着けていない日本人に自分の救命具を渡して死んだ宣教師がいたが、のちに彼の息子が語った話によれば、あの宣教師は全く泳ぐことのできない人だったという。彼のような人にユダヤ人を差別することが可能だっただろうか。太平洋戦争で残虐な歴史を残した日本人の国にやって来て、あのように地上の生涯を終えた人に。


今日のビデオ:六月の晴れた午後
-- 大貫妙子

27 July 2008

なぜいつも暴力なのか


今朝、横須賀市でまた哀しい事件があった。4歳の男の子が祖母の暴力によって死んだのだ。祖母といってもまだ46歳で、今年4月に養子縁組していたというから、法律上は母親になる。死んだ嶺(れい)という子は次男の子どもなのだそうだ。ぼくはふだんはほとんど個別の刑事事件に関してコメントすることはないけれど、この種の事件は、通り魔事件などと同じように、この国の社会事情を反影しているようにおもうから、自分なりの感想を述べてみたいとおもった。

ぼくはまず容疑者の職業がヘルパーであることが気になった。ヘルパーという官僚ふうのカタカナのことも気になるが、受験や見栄のためだけに英語を勉強しながら一流大学に入って官僚やジャーナリストになったような連中のことまで考えていたら夜が明けてしまうので、今はとにかくこの事件のことだけを考えよう。介護という社会福祉に関係する職に就いている女性が、なぜ小さな孫に向かって暴力を振るうことができたのか。嶺君のからだには、以前から暴力が繰り返されていたと推測されるようなアザや火傷の跡があって、容疑者はそれに関して自分の暴力を認めているという。一緒に暮らしていた夫はそれに気づいていたのだろうか。

介護というものがまるで流行のようにマスコミでもてはやされていた頃、それを横目に見ながら、ぼくは「まずいな」とおもったものだ。それよりずっと以前、学校教育の中でボランティア活動を内申書で評価するようになったという話を知ったときも同じ気持だった。困っている人を無償で助けたりするというのは当たり前のことであって、学校で公式に評価するような問題ではないはずだ。ヨイコだから助けるのではない。助けるからヨイコになるのでもない。助けることができるから助けるのだ。そういう当たり前のことが常識として通用する社会であってこそ、介護で給料をもらう人の常識も当たり前になるだろう。常識的な人が介護の職に就こうとするようになるだろう。

ぼくは今回の事件の容疑者に会ったこともないのだから余り断定的なことを言うべきじゃないかもしれないが、「4月から同居を始めたが、なつかず暴れ、言葉遣いも悪くて困っていた」と話しているそうだから、ある程度の推測は許されるようにおもう。この容疑者は何よりも子どもの気持になって考え行動するということができなかったようだ。別の表現をするなら、小さな子どもを愛するということの意味が理解できていない人らしい。

この子はおそらく人間の成長段階として非常に重要な時期に親の愛を受けずにいた。たとえ愚かな親であってもその愛を必要とするのが子どもである。親というのは必ずしも血のつながった親である必要はない。人間にはイヌのような動物を我が子のように愛することも可能であるし、オオカミさんだってヒトの子をちゃんと(オオカミらしく)育てることができるのだ。子どもにとって親とは何か。こういう本質的な問題を考えることができたなら、その子に暴力を振るえばどういうことになるかくらい想像できたはずだ。

この事件もいつものことながら、結局は想像力の問題に行き着くのかもしれない。忍耐力の問題でもあるだろう。そもそも誰かを愛するということは、想像力と忍耐力なくして可能だろうか。想像力も忍耐力も、子どもの頃にその基礎が育つのが普通だ。それが育たないままにボランティアだ社会福祉だなどと浮かれていたら、本当に助けを必要としていた者を殺していたということにもなってしまうのだろう。


今日のビデオ:汽 車
-- EPO

24 July 2008

ユダヤ人を差別したのは誰か


ユダヤ人への差別といえば、まず思い浮かべるのは、ナチスによる迫害だろうか。誰かがそれをキリスト教のせいにしているのをどこかで読んだ覚えがある。ニッポンではキリスト教が専門の博士でさえトンチンカンな論文を書くのだから、流行作家や一般人がキリスト教を誤解するのは当然だろう。たとえば、ローマ・カトリックがコペルニクスの地動説を拒否した歴史などを引っ張り出して来て、それをもってキリスト教そのものを科学の敵のようにみなす人がいる。しかし、聖書のどこにもローマ・カトリックの主張した天動説の根拠となるような記述はないのである。もちろん、聖書の中にも「陽が昇った」というような表現があるのは確かだ。それは現代人だって普通に使う表現であるはずで、いちいち地球が太陽の周りを自転しながら公転しているなどとは言わないだろう。

中世の十字軍の歴史なども、しばしばキリスト教を非難するために利用されているようだ。その際に十字軍の兵士たちがイスラム教徒ばかりかユダヤ人をも殺したことを例に挙げて、それ見たことか、クリスチャンはかくも昔からユダヤ人を迫害していた野蛮人だと主張する人がいる。そして、イエス・キリスト自身がユダヤ人を差別していたとまで断言して恥じぬ人まで存在するらしい。彼らは新約聖書を読んだことがないのだろう。

若き日のパウロは、イエスを嫌ったユダヤ人エリートに属していたし、実際に彼もキリスト者たちを迫害していたのだ。それが自身もキリストを信ずる者となって迫害を受けていた頃、ローマのキリスト者たちへ送った手紙の中で彼はこのように書いていた。
わたしは福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人を始めギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。(ローマ1:16)
パウロはイエスから受けた使命、特に異邦人への使徒としての使命を強く意識していたが、キリスト者を迫害するユダヤ人のことを差別するどころか、至る所で、キリストの福音が民族を差別するものでないことを強調していたのである。聖書をちゃんと読んだことのある者であれば、キリスト教が反ユダヤ主義であるというようなトンチンカンなことは決して言えないはずだ。

集合論だとか論理学だとかを引っ張り出すまでもなく、人間はイエス・キリストを信じる者と信じない者の2通りに分けられることは確かだろう。イヌを愛するか愛さないかで分けてもいい。しかし、一口に愛犬家といっても、自分のイヌのことしか頭になくて、海の向こうで人間の食材とされているイヌたちのことをおもうどころか、近所で鎖につながれたままのイヌたちにさえ同情できない自称愛犬家がいたりするのが人の世の現実である。自称クリスチャンにも同じように不可解な性質を有する者たちの少なくないことは、容易に想像できるだろう。

ここでよく誤解されやすいことをハッキリさせておかねばならない。日本人の宗教観はたいてい道徳的(あるいは修行的)であるから、キリスト者を判断する際にも、道徳的な視点から区別する傾向があるのかもしれない。しかし、キリストを信じるかどうかということは、その人の表面上に現れた道徳性とはそれほど関係がないのである。たとえば、マザー・テレサのように立派な生涯を送った女性がカトリック教徒であったという事実だけでは、自動的に彼女がキリスト者だったということにはならない。キリスト者でなくとも立派な生涯を送った人は大勢いるのである。

聖書に書かれてあるとおりのイエス・キリストという存在をそのままに信じるかどうか。聖書に明言されていないことを教理とするような教団の権威には絶対に従わないか。この2点において判断したときにのみ、その人がイエス・キリストを信じる者であるかどうかが明らかになるだろう。この意味でこそ、人間は明確に2通りに分けられるのであって、十字軍の兵士として人間を虐殺した人々も、科学者を異端審問で裁いたローマ・カトリックのお偉いさんたちも、そしてナチスの信条によってユダヤ人を迫害した連中も、みんなイエス・キリストを信じない者のグループに属すという点で共通するのである。たとえ彼らが人の眼に見えるキリスト教会に所属する人間であったとしても。

最後に誤解のないように言っておくと、ぼくはキリストを信じない者がみな残虐な人間であるというようなことを言ったつもりはない。すでに述べたように、キリスト者でなくても、マザー・テレサのように道徳的に立派な生き方をする人は大勢いるのだ。

今日のビデオ:風の詩を聴かせて
-- 桑田佳祐

22 July 2008

ユダヤ人はなぜイエスを嫌うのか


ロバに乗ってエルサレムに入ったイエスだったが、当初からユダヤ社会のエリートたちに嫌われたようだ。それもそのはず、群衆に向かってイエスはこんなことを話していたのだ。
忌まわしいものだ。偽善の律法学者、パリサイびとたち。あなたがたは、人々から天の御国をさえにぎっているのです。自分も入らず、入ろうとしている人々をも入らせないのです。忌まわしいものだ。偽善の律法学者、パリサイびとたち。あなたがたは、やもめたちの家を食いつぶしていながら、見栄のために長い祈りをするからです。ですから、あなたがたは、人一倍ひどい罰を受けます。(マタイ23:13 - 14)
偽善者エリートどもよ、あんたらは天国に入れないし、入ろうとしている人たちの邪魔さえしてると言ってるわけだけど、これはさすがのBBでも(たぶん)言えない強烈な皮肉だ。このように律法学者とかパリサイびとのようなエリートたちに向かって、イエスは非常に厳しかった。一方、彼らエリートたちが罪深い者として見下すような人々に対して、イエスはやさしかった。彼はユダヤ人の誇るエルサレムについて、こんなことを言った。
あゝ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。(マタイ23:37)
あれから2千年後の現在も、ユダヤ人の中でイエスをメシア(キリスト)として受け入れる者は珍しいようだ。特にシオニストのようなユダヤ人たちはイエス・キリストを絶対に受け入れないだろう。ニッポンの国粋主義者たちがキリスト教を今でも外国の宗教として排斥するように。

日本人のウヨクは、天皇制ファシズムの残虐な歴史を史実どおりに教えることを「自虐史観」だとか「反日教育」だとかと言って非難するが、ユダヤ人にとってイエス・キリストの福音を中心とする新約聖書は、まさに「反ユダヤ」に見えてしまうのだろう。自己の感情や偏見に支配されずにちゃんと読むならば、そこにこそユダヤ人への救いのメッセージがあるというのに。

ユダヤ社会とイスラム社会は昔から仲が悪いようだが、ぼくには両者がよく似た社会のようにおもえる。どちらも集団主義的な宗教社会だからだ。イスラム社会でも、ひとはみな生まれながらにイスラム教徒と決められてしまうわけで、もしキリスト教に改宗するようなことがあったら、法律の定めによって死刑を宣告されてしまう。戦中戦前までの日本社会も、天皇教という国家神道のもとに国民は統率されていた。キリスト教でも、カトリックには今なお集団主義的な特徴があるようにおもう。創価学会だとか、キリストの名を借りてるカルトほどではないとしても。

集団に属する人間がみな正しいことを行なうのならば、集団主義だってそれほど悪くないのかもしれないが、その集団を人間が支配する限り、必ず上のほうからその社会は腐敗してしまうだろう。ぼくは現代の地球全体の様子を見渡すとき、ニッポンを含めて、大きな悪の勢力によって支配されているような気がして仕方がないのだ。その勢力は確実に集団として大きくなっているように見える。統一協会のような宗教もそれに関係して暗躍しているような気がする。この宗教の教祖ムン・ソンミョン(文鮮明)は、自分こそが再臨のキリストだと主張しているし、オウム真理教のアサハラも自分はイエスより偉大だと言っていた。この種の教祖たちを見ていると、ぼくはイエスの次の言葉を思い出す。
人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、「私こそキリストだ」と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のウワサを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々で飢饉と地震が起こります。(マタイ24:4 -7)
これが2千年前に言われていたことをおもえば、実に驚くべき予言だが、これで終われば夢も希望もない話になってしまう。しかし、新約聖書には確かな希望が書き記されている。その希望を打ち砕こうとする勢力がこの世を支配しているから、この地球という青い惑星は、宇宙から見たほどには美しくない星なのかもしれない。それでもイエスを信じる者の希望は決して消えることはない。
わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平和を持つためです。あなたがたは、世にあっては苦難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。(ヨハネ16:33)
イエスの口からこれを聞いたとき、弟子たちはみなその意味をまだ理解できていなかったはずだ。まさかもうすぐこのイエスが十字架刑という恥ずべき刑罰によって死ぬようなことになるとは、だれも想像すらできなかったにちがいない。やがて彼らがその十字架の死によってこそイエスの勝利が完成したということを理解したとき、キリスト教の歴史が始まったのである。ローマ人にもユダヤ人にも地獄と敗北の象徴だった十字架が、キリスト者にとっては天国と勝利の象徴となったのである。そして、そのキリスト教の歴史もまた人間を支配する悪の勢力によって汚されてしまうことを、イエスは弟子たちに言い残していたのだ。

今日のビデオ:友よ
-- 岡林信康

12 July 2008

年を重ねること


重苦しい話題が続いたあとだから、なんだか話しづらいけれど、竹内まりやって人は、いい感じに年を重ねてる女性だなあとおもってた。そうおもってたら、彼女が去年の夏に発表した歌に「人生の扉」というのがあるのを知った。それはこんなふうに始まる歌だった。
春がまた来るたび ひとつ年を重ね
目に映る景色も 少しずつ変わるよ
陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く
気がつけば五十路を越えた私がいる
女性の年齢を明かすのは趣味じゃないが、1955年3月20日生まれというから、ただ今53歳ということになる。昔からぼくの周りにはもっと年上で素敵な感じの女性が多かったから、なんだまだ若いじゃんという気がしないこともない。でも、ビデオで見る感じでは、やっぱりかなりいい線行ってる女性だなとはおもう。

それで思い出したけれど、ぼくの知人に山下達郎と中学校が同じだったという人がいて、結婚式には竹内まりやも一緒に来て祝ってくれたそうだ。時には自宅を訪ねることもあるらしく、山下みたいなヤツになぜこんな美人が嫁に来たんだとか冗談を言うこともあるらしい。冗談というのが本心なのかどうかは知らないけれど、山下達郎の身体的特徴はともかく、あの人の音楽性を論じるなら、自分の曲のアレンジよりは、奥さんの曲のアレンジのほうがずっといい感じに仕上がっているように感じているのは、ぼくだけだろうか。

それはともかく、「人生の扉」の中には、途中で英語の歌詞が入っている。竹内まりやは高校生の頃にアメリカに留学した経験があるそうで、英語はペラペラらしい。彼女はビートルズが大好きみたいだから、本当なら英国に留学したかったのじゃないだろうか。でもアメリカの交換留学制度で留学したようだし、当時はやはり留学といえばアメリカという時代だったのだろう。それに高校まで地方で過ごしていた彼女にとっては、「いぎりすに行きたしと思へども いぎりすはあまりに遠し」という感じだったのかもしれない。あ、英語の歌詞のことを忘れてた。
And they say it's lovely to be 40
But I feel it's nice to be 50

ひとはこう言う 40歳になるって素敵よね
でも私は想うの 50歳だって素晴らしいわ 
竹内まりやがこの部分を日本語にしなかったのは、作曲上の問題があったのだろうけれど、それだけじゃなく、英語のほうがシックリする気分だったのかもしれない。ニッポンの社会では、英語で話すというだけで何かカッコいいことのように勘違いしている人も目立つようだけれど、英語のほうが自然に言えるってこともあるようにおもう。もちろんその逆の場合もあるのであって、たとえば夏目漱石の『吾輩は猫である』というのは、日本語でなきゃダメなような気がする。

今日のビデオ:不思議なピーチパイ〜 September
-- 竹内まりや(武道館ライブ、2000年)

☆ 「不思議なピーチパイ」という歌は初期の頃のヒット曲で、当時はアイドル歌手としてテレビに出ていたようです。加藤和彦の作曲もアイドル路線を意識して作った感じがします。このライブのステージに立つ竹内まりやの姿が、なんとなくアイドル歌手っぽく見えてしまうのは、ぼくの気のせいでしょうか。彼女は意識的にアイドルを演じているのでしょうか。冗談のつもりなのかもしれないですが、なんだか微笑ましいというか、とにかく可愛いですね。

11 July 2008

小説より奇なり (3)


もし9/11事件が米国政府の陰謀であったとすれば、日本人ひとりをテロリストに殺されたことにするシナリオを実行するのは、朝メシ前だろう。イラクで人質となった香田証生の映像を初めて見たとき、背後に立っているテロリストたちが、なんだか安っぽいアメリカ映画に出て来る悪役のように見えたものだ。ぼくはハリウッド映画を見ていてよくおもうことがある。もしかして制作スタッフの頭かどこかが悪いんじゃないかって。

あの事件が起きたのは2004年の10月だったが、2006年の春になって突然、犯人のひとりが逮捕されたニュースが報じられた。アルカイダ系テロ組織のメンバーだという。すべてが陰謀だったのだとすれば、シナリオどおりということになるだろう。その男を逮捕して自供させたのは、イラク内務省直属の特殊部隊「オオカミ旅団」だったという。彼らのやり方はいつも残虐であり、拷問によって市民に自白を強要したり虐殺したりしていたのだ。こんな組織の名前がオオカミ旅団とはひどすぎる。オオカミさんたちへの侮辱としかおもえない。この残虐な治安部隊を訓練して育てたのはアメリカ軍であった。

香田君を人質にしたグループがネット上でビデオを配信したのが、日本時間で2004年10月27日午前2時7分だった。その映像の中で、香田君は小泉首相に向かってこう語った。
小泉さん、彼らは日本政府に自衛隊の撤退を求めています。さもなくば、ぼくの首をはねると言っています。すみませんでした。また日本に戻りたいです。
人質事件の知らせが正式に首相官邸に届いたのが、同日午前6時頃。その1時間後、小泉首相は電話で細田官房長官に向かって「自衛隊は撤退しない」ことを指示した。それを外務省の竹内事務次官がベーカー駐日アメリカ大使に電話で伝えたが、これを受けて大使は「自衛隊を撤退する考えはないとの日本政府の決定を支持し敬意を表する」と答えた(08:45)。やがて小泉首相は記者団の前に立ち、「テロに屈することはできない。自衛隊は撤退しない」と発表した(10:00)。

犯人たちが設定した48時間のあいだ、ニッポンの政府が積極的に香田君を救出しようとした様子はなかった。マスメディアも冷たかった。国民の多くは、いつものようにマスコミに迎合するだけで、香田君に対して批判的だった。そして予定どおり彼は殺されてしまった。香田君には冷たかったマスコミも国民も、テロリストを憎む思いが強くなったのは確かで、これによってアメリカの対テロ戦争を支持する小泉政権も予定していたシナリオを実行しやすくなったことだろう。

あの48時間のあいだに、イラクに入国する直前の香田君にヨルダンのホテルで出会って話をしたという映画監督の四ノ宮浩の証言が、NHK始め各メディアで流されていた。その内容はどれも、香田君の浅はかな行動を強調するかのようであった。危険だからやめておきなという忠告に耳を貸さずに、「大丈夫、何とかなりますよ」という態度だったらしい。これを見た国民の多くは、香田君の行動を非難し、小泉首相の決断を支持するようになったにちがいない。

ところが、ここで不思議なことがある。香田君が殺害された直後にフランスのルモンド紙が発表した記事によると、四ノ宮監督は、香田君の最後の言葉として、次ように言ったというのだ。
多くのウソが語られている(On raconte tellement de mensonges)。
このルモンド紙の考えでは、香田証生という若者は、ニッポンのマスメディアが報じているような世間知らずの軽薄な旅行者ではなく、自分の眼で真実を確かめようと、危険を覚悟でイラクに入ったのだということになる。これは29日のTBSテレビの番組に生出演していた四ノ宮監督の言葉とも共鳴するものだった。レギュラー・タレントたちが一斉に香田君を非難している最中に、四ノ宮が彼の行動目的を弁護するような問題提起をすると、すぐに話題を変えられてしまった。NHKなどでは、あらかじめそのような意見をカットして編集していたのじゃないだろうか。昔ぼくもニッポンのマスメディアで肝心の意見が編集でカットされた経験があり、それ以来、マスコミが隠そうとする情報こそが重要だとおもうようになった。

ニッポンのマスメディアによって全国に流された情報によって、とにかく香田君のイメージは軽はずみな行動をするバカな旅行者という感じになってしまい、一方、小泉首相のテロに屈しない姿がやけに立派に見えて来たのである。9/11事件のあとに人気が急上昇したブッシュ大統領とよく似ている。そういえば、米軍のイラク侵攻をどこの国よりも早く直ちに認めたのが、ニッポンの政府であった。

香田君に関する現地の目撃情報の中には、彼が黒塗りの高級車に嬉しそうに乗り込んだというのがあった。それが事実だとすれば、その車には彼を安心させるような人物が乗っていたのじゃないだろうか。イスラム系というより、たとえばアメリカ系の人間とか。

きょうの話がまちがいないと断言するつもりはない。ただ、テレビだとか新聞だとかで報道される事実こそがフィクションである可能性はあるのであって、いつもそのことを忘れてはならないとおもう。情報化時代といわれる時代にあって、ぼくらはマスメディアの提供する情報を信じすぎると、かえって現実が見えなくなってしまうことだってあるだろう。戦中戦前の歴史を振り返るまでもなく、権力者たちが情報を操作しながら庶民を支配して来たというのが、人間の哀しい歴史の事実なのだ。いつの時代にも現代人というのは、現代というものにだまされてしまう。1世紀前の人も当時は現代人であった。

事実がしばしば小説より奇であるのは、現実の世界で、だれかの書いた奇怪なシナリオどおりに行動する人間がいるからだろう。現実の人間が、フィクションの人間以上に、欲望というものに支配されやすいのは、生身のからだで生きているせいだろうか。

今日のビデオ:悲しくてやりきれない
-- 加藤和彦 & 坂崎幸之助

9 July 2008

小説より奇なり (2)


1945年7月28日、米軍B-25型爆撃機が濃霧の中でエンパイア・ステート・ビルディングの79階部分に激突した。この事故で14人が亡くなっているが、ビルが崩壊することはなかった。未だかつて飛行機の衝突によって超高層ビルが崩壊したというのは、あの世界貿易センタービルだけらしい。あのときの映像を見たとき、ジェット機が衝突したくらいで巨大なビルがあんなふうに崩れるものかと、ぼくは非常に不思議におもったものだ。もちろん建築に関しては全くの門外漢だけど。

テロリストがあらかじめビル内に爆薬を仕掛けていたというなら話は別だ。しかし、米国政府の公式発表にはそれがない。陰謀説を主張する人たちが爆薬のことを言ってるようだけれど、彼らはあの事件を政府関係者による陰謀と見ているのだ。あれほどのビルであるから、警備がいかに厳重であることか。ビル全体を破壊するだけの爆薬を仕掛けるなど、普通のテロリストには不可能だろう。米国の支配者層と仲の良いテロリストなら可能だとしても。

陰謀説を否定する人は、まさかアメリカ人にあんなひどいことが計画できるわけがないと信じているのだろう。その人は米国を支配する悪の勢力がどれほど悪魔的であるかを知らないらしい。アメリカ人のクリスチャンが英国の掲示板に登場して、こんなことを書いていた ---- イラク戦争でどれほどアメリカが莫大なカネを使っているか知ってるのかい。カネ儲けのために戦争を始めるわけがないじゃないか ---- この人は米国の良心を素直に信じてる人らしい。米国にも良心があるのは確かだ。しかし、戦争を計画するのは米国の良心ではない。イラク戦争によって財産を殖やしているアメリカ人が存在するのは事実だ。

世界貿易センタービルを破壊したのが米国の陰謀だとすれば、ぼくがまずおもったのは、それを知っていた関係者が、そのビルに勤務する家族や友人などが巻き添えにならないように、あらかじめ手を回していたにちがいないということだった。すると、やはりそれに関する情報があった。あの日、ユダヤ系の職員が大量に欠勤していたという。これをデマだとする意見もあるようだが、ぼくはむしろそのような意見の背後に悪の勢力を感じてしまう。

こんなことを言うとオカルトっぽい印象になってしまうかもしれないけれど、ブッシュ大統領の顔を見るたびに、ぼくは悪霊が微笑んでいるような感じがしてゾッとするのだ。ブッシュ家というのは、現大統領の父親の時代にすでに悪魔に魂を売っていたようなイメージがある。以前も話した統一協会とのつながりも、ぼくには悪魔的におもえてしまう。ブッシュ大統領の弟マーヴィン・ブッシュは、1993年から2000年まで、ストラテセック社の取締役だったが、この会社は世界貿易センタービルの安全保障業務に関係していたのだ。ビルの電気設備関係らしい。

日本語圏のウィキペディアでは、いまだにあの事件を「アメリカ同時多発テロ事件」という見出しで書いているが、英語圏では「テロ」という言葉を入れずに、ただ9/11というように表すのが普通だ。あの事件以来、ブッシュ政権への支持率が急上昇し、対テロ戦争(War on Terrorism または War on Terror)のかけ声のもとに、米国は正義の戦争を開始した。戦争など殺し合いにすぎないのだから、どんなにがんばっても正義であるはずはないのだが、あの9/11事件がイスラム過激派のテロリストによる暴挙である限り、アメリカ人にとっては正義の戦争をやってることになるのだろう。

ところで、先日、英国のブレアがカトリックに改宗していたことを書いたけれど、なんと今度はブッシュがカトリックに改宗するかもしれないというウワサが流れているらしい。ブッシュは原理主義と非難されるくらいにコチコチのプロテスタントだったはずだが、もしそのウワサが現実になるとすれば、ぼくが以前からおもっていたとおり、彼は偽クリスチャンだったということになるだろう。カトリック教徒の中に個人としては同じ信仰をもっているらしい人に出会ったことはあっても、未だかつてカトリック教会という組織にぼくは聖書的なキリスト信仰を見た覚えがない。聖書がハッキリ禁じていることをローマ教皇庁が認めたり、聖書に書いてないことを教理に入れたりしているのがカトリックなのだから。

1945年に米軍爆撃機がエンパイア・ステート・ビルディングに激突した場所にはカトリック関係の事務所があったという。世界貿易センタービルが消えたことで、エンパイア・ステート・ビルディングが再びニューヨークでいちばん高いビルに昇格したようだ。とにかく、事実は小説より奇であるのは事実らしい。

今日のビデオ:They Can't Take That Away From Me
-- Ella & Louis

7 July 2008

小説より奇なり (1)

あの戦争で日本兵がいくら残虐なことをしたとはいえ、まさか赤ん坊を銃剣で突き殺すなんてことまではできなかっただろうと、だれかが書いているのを見たことがある。その人は別にウヨクでもなさそうだった。自分の常識とか情感とかを余り信じすぎると、歴史の事実さえ見えなくなってしまうことがある。

日本兵の中に赤ん坊までをも平然と殺すことのできた人間がいたのは事実である。それは昭和の時代に始まったことではない。明治天皇が即位した直後、長崎のキリスト教徒たち1,400人以上が、ただキリスト教を信じているというだけで天皇の警察隊に逮捕された(【注】警察隊といっても、当時はまだ正式な警察組織がなかったので、その実体は尊王派の藩士たち)。逮捕されたクリスチャンたちは拷問を受けながら5年間も拘束され、そのあいだに660人以上が死んでいたのだ。中には赤ん坊も含まれていて、母親を拷問するために赤ちゃんを利用するようなことまでした。天皇制国家にあっては、キリスト教徒であるというだけで、日本人どころか生き物として扱ってもらえないらしい。

昭和天皇は明治天皇のことをこの上もなく尊敬していた。その昭和時代の始め頃から、ニッポンの子どもたちは、中国人のことをチャンコロと呼んで軽蔑するようになった。大人たちの真似をしたのだ。昭和天皇がその風潮を戒めて、「中国人だって同じ人間なのだから差別しちゃならない」と言ったという話を、ぼくは聞いたことがない。天皇の声など、ラジオであのチンチンプンプンの「玉音放送」を聴く日まで、庶民に拝聴できる機会が訪れるとは想像すらできなかったのだ。

やがて天皇の軍隊は「八紘一宇」というエセ平和主義(つまり軍国主義)のスローガンのもとに中国を侵略するようになるが、新聞で報じられた皇軍の「大活躍」を大人たちから聞いて、子どもたちも大喜びしたものだった。中国人が殺されたと知って喜びながら、「もっとチャンコロを殺せ!」とはしゃぐようなのが、当時は普通の子どもだったらしい。そんな子どもが大人になって戦場に行けばどんなことをするか。きっと三流小説家にだってリアルなものが書けるだろう。

中国人の子どもまでをも生体実験に利用した731部隊の隊員は、隊長の石井四郎中将始め、多くが帝国大学医学部出身のエリート医師たちだった。石井中将は母校の京都帝大を訪れ、後輩の医学生たちに、日本兵が南京で妊婦を銃剣で突き刺しているフィルムなどを見せた。それを見て気持が悪くなり貧血を起こして倒れる学生がいた。すると石井中将はこう怒鳴ったという。「だれだ貧血で倒れるのは!そんなことでは日本の軍医になれない!」

明治から始まる天皇制は、人間のいのちを尊ぶはずの医者の中でも最高のエリートの地位についていた人間をさえ、これほどまでに悪魔的な人間に育てた。これは500年前の歴史ではない。わずか65年ほど前に天皇制国家が残した現代史である。もし日本人の中に、昭和天皇にその責任がなかったと主張する人がいたとすれば、その人も石井中将と同じく、天皇教の悪霊に取り憑かれているのだろう。事実は怪奇小説よりも奇である。

今日のビデオ:Pie Jesu
-- Hayley Westenra

☆ 15歳の頃のヘイリーです。化粧がやや濃すぎるようにおもうのは、ぼくだけでしょうか。大人に見られたい年頃だったのでしょうね。でも、やっぱり歌姫です。

5 July 2008

歌 姫

先日、ヘイリー・ウェステンラが子どもの頃のビデオを見てもらったけれど、あれを見たときぼくはコニー・タルボットのことを思い出していたのだ。コニーも同じくらいに小さいけど、ずっと歌がうまいなと。そんなことを考えていたあとで、ふたりが友だち同士のように一緒に映っているビデオを見てしまったから驚いた。7月3日にここで紹介したやつだ。

「歌姫」という日本語がある。普通はこれを歌のヘタッピーな女性には使わないだろう。こないだここで聴いてもらったコニーの歌だけれど、あんなのを聴いていると、やっぱりコニーは歌姫だなあとおもってしまうわけだ。7歳であんな感じで歌えるのはすごいとおもう。しかも、変に大人ぶってるわけでもない。歌を楽しむことを知っている歌い方だ。7歳の頃のヘタッピーなヘイリー・ウェステンラだって、歌姫のように見えたのかもしれないけれど、あのカメラワークはどう考えてもひどすぎる。

コニーが有名になったのは、かなり以前にこのブログで書いたとおり、タレント発掘系のテレビ番組に出たからだった。毒舌審査員として有名なあのサイモン・カウエルをして、「完璧な魔法的魅力」(pure magic)と言わしめた。しかし、あの番組のステージで歌ったときのコニーは、もし歌唱力を技術とするなら決して完璧ではなかった。それなのに大人の女性を泣かせるほどの感動を与えたのはなぜだろう。あの場にいた人たちは、コニーから発するオーラのようなものに魅せられていたのだとおもう。決してヤラセ的な脚色ではなかったのだとおもう。

イギリス人の中にはコニーに批判的な人もいるようだ。しかし、それはコニーに対してというより、コニーを利用する音楽産業への批判なのだ。最初のアルバムをクリスマス・シーズンに合わせて売り出したのが特に印象を悪くしたらしい。英国では、クリスマス商戦の中でイヌのような動物を売り出すことにも批判的な傾向がある。

コニーは前歯が生えたようだけれど、今のところ、大人たちの汚れたカネ儲け主義には染まっていないようだ。芸大の有名な教授から指導を受けている様子もない。今年の春、アルバムのキャンペーンでアジア諸国を訪問したらしいが、台湾や韓国にまでやって来たというのに、ニッポンには立ち寄らなかった。契約したレコード会社がSony BMGのはずだけど、日本側のスタッフは余り関心がないのだろうか。確かに、日本人でコニーのことをブログで何度も取り上げるようなファンは珍しいのかもしれない。

ぼくにとってコニーの魅力はイヌの魅力と似ている。イヌは学校で音楽を習うようなこともないけれど、ぼくはイヌと一緒にいると、楽しい音楽を聴いているような気分になるのだ。イヌと一緒にいると、自分がとても汚れているようにおもえることもある。イヌは京都大学で哲学を学んだこともないけれど、どんな哲学者よりも幸福の意味を知っているように見える。イヌは年をとっても変わらない。変わる必要がない。コニーも同じであってほしいなんて星に願えば、ピーター・パンみたいなおとぎ話になってしまうだろうか。

今日のビデオ:Connie on Britain's Got Talent

4 July 2008

暴力と子ども


子どもらしい子どもがいなくなった。そんな意見をイギリス人から聞いたことがある。11歳くらいですでに大人のように見える子どもが目立つようになったということらしい。それが美しい大人に見えるのならまだ希望はあるだろう。しかし、どうやらそうではなさそうだ。

1993年2月12日、英国リバプールの商店街で幼児が誘拐されて惨殺されるという事件があった。犯人はふたりだったが、彼らはまだ10歳の少年だったため、英国中を震撼させる大事件となったのだ。英国犯罪史に残る Bulger killers(バルジャー殺し)と呼ばれる犯人たちの名前は、公判中は公表されなかったが、有罪判決が決まったあと、裁判長は名前の公開を許可した。このふたりの少年、ロバートとジョンは、ともに悲惨な家庭で育っていた。特にロバートの家庭環境はひどかった。彼は5歳のときに父親が家を出て行くまで、その父親から暴力(性的虐待もあったらしい)を受けていたし、7人兄弟の末っ子の彼は兄たちからも暴行を繰り返し受けていた。そのような少年にはよくあることだが、彼はやがて動物を虐殺するようなことをするようになった。

被害者のジェームズ・バルジャーはあと1ヶ月で3歳の誕生日を迎えようとしていた。この子を誘拐する直前まで、ロバートとジョンは、商店街でいくつもの商品を万引きしていた。線路沿いで遺体となって発見されたジェームズの口の中には、何本かの乾電池が押し込められていたが、これも万引きしたものだった。

量刑にあたって犯人たちの悲惨な家庭環境を考慮する必要を訴えた意見に対して,同じような家庭環境にある少年は少なくないことを理由に厳罰を求める声がむしろ世論を支配していたようだ。中には極刑(つまり終身刑)を求めるマスメディアまであった。裁判の判決でふたりは最低10年の禁固刑を言い渡されたが、これを甘いと感じた市民は大衆紙の音頭に乗って署名運動を始めた。30万人の署名を渡されたハワード内務大臣は、世論を尊重するという理由でふたりの刑期を最低15年までに延ばした。しかし、これはのちに控訴院(Court of Appeal)によって無効とされた。

社会的弱者にやさしく、めったなことでは感情を表さないイギリス人でも、あの事件では相当に感情を剥き出しにして犯人の少年たちを非難したものだった。死刑を支持する人間の多いニッポンなら、きっとあんな残虐な少年たちなど一刻も早く処刑台で処分してしまえということになったかもしれない。ぼくだってあの少年たちの犯罪行為の内容を具体的に知ったときには、非常に腹立たしくおもったことは確かだ。しかし、この種の犯罪は極刑によって犯人を痛めつけて済むような問題ではない。社会的な原因を考察してこそ、同じような犯罪を防ぐことができるだろうし、このような少年犯罪は、社会自体が病んでいることの警告と見るべきだとおもう。

どうやら英国でもマスメディアでは特に問題にしていないようだが、ぼくはあの事件が起きた1993年という時代に注目していた。1990年11月、英国では11年つづいたサッチャー政権が終わっていた。その11年のあいだに英国の社会(特に教育環境)はひどく変わってしまった。サッチャー首相が軍事費を優先して教育費を削減していたことは、すでにこのブログでも話したことがあったとおもう。彼女は経済成長で成功しているかに見えた日本社会のあり方に非常に関心があったらしく、日本の教育制度まで参考にしていたようだ。その結果、英国の公立学校がひどく荒れてしまった。暴力的な少年少女が非常に増えたのだ。

暴力的になったのは子どもたちばかりでなかった。イヌも凶暴になっていたのだ。1990年に子どもがイヌに咬み殺されるという事件が起こり、これを重く見た議会によって、英国史上初めて危険なイヌを取り締まる法律が制定された。これを悪法と断言する議員が今もいるようだし、英国の愛犬家の主流は日本人とはちがってイヌの育て方を知っているから、それほどこの法律の悪影響はないとしても、1990年代以降、英国社会がイヌに対してやや神経質になったことは確かだろう。

ニッポンのイヌたちがいつも奴隷のように鎖につながれていることに何も疑問を感じないどころか、それでむしろ安心しているかのような日本人(愛犬家までも!)の現実を見るにつけ、ぼくはイヌたちだけでなく、コドモたちのことも気がかりになって仕方がない。戦前の子どもたちが自由のない抑圧された社会の中で暴力的になっていたように、戦前型の天皇制教育を理想とするかのような社会環境の中で、無責任な大人たちの背中を見ながら、子どもたちが凶暴になっているような気配を感じているのだ。

今日のビデオ:終りの季節
-- 矢野顕子 & 細野晴臣

3 July 2008

楽しい社会

ビートルズが女王からMBE勲章を授けられると知ったとき、かつて同じ勲章をもらっていた退役軍人の中からそれに反対する声が上がった。イギリス人だってヒトの一種。その程度の人間が混じっているのは仕方ない。しょせん勲章ごときものに何も目くじらを立てる必要はないのだ。そんな暇があったら、クジラと遊んでいたほうがいい。

聞いた話だと、グループサウンズというのが世に登場した頃、NHKは彼らのテレビ出演を認めなかったという。きっとあんなものは不良の音楽だとして見下していたのだろう。戦後も変わらずに帝国憲法の「安寧秩序」をだいじにしていたような連中が。

NHKといえば、終戦直後にNHK会長となった高野岩三郎は、その就任演説の中でこう言った。
権力に屈せず、大衆とともに歩み、大衆に一歩先んずる。
もし1960年代にNHKの中にこの精神が生きていたら、グループサウンズを拒絶するような真似はできなかったとおもう。高野は天皇制の廃止を主張して独自の憲法草案を書いていた学者だった。当時の政治的支配層は、天皇制の存続を国民のいのちよりも尊重していたし、庶民の多くは天皇制教育の呪縛から解放されていなかった。この国が本当に民主国家となるためには、庶民が精神的に天皇制から解放される必要があった。そのことに高野岩三郎は気づいていたのだろう。彼は天皇制を支持する大衆のことを「囚われたる大衆」と呼んだ。ニッポンの大衆は21世紀の現在も変わっていないらしい。囚われているという自覚のないままに。

もし高野岩三郎が今のNHKの姿を見たとすれば、きっとこう言うだろう。
権力に屈し、大衆とともに歩まず、大衆にさえ後退している。
NHK職員の中には、この現実に批判的な人もいることは確かだ。しかし、NHKという組織の構造は腐敗した政治権力に支配されやすい構造になっているのだ。これを改革しない限り、NHK内部に存在する良心はけっきょく排除されてしまうだろう。第一、受信料を払っている庶民の多くがこういう問題に無関心すぎるのだから。

英国のMBE勲章の話に戻ろう。退役軍人の非難に対してジョン・レノンが言った言葉が面白い。
ぼくらがMBE勲章をもらうことに文句を言う連中の多くは、戦争で活躍したことで、つまり人を殺したことで、勲章をもらったんでしょ。ぼくらは人を楽しませたことでもらうのさ。ぼくらのほうが勲章を受けるにふさわしいと言いたいね。

Lots of people who complained about us receiving the MBE received theirs for heroism in the war — for killing people. We received ours for entertaining other people. I'd say we deserve ours more.
かつてこのブログで、映画 Mrs Henderson Presents(ヘンダーソン夫人の贈り物)のことを話したことがあった。たとえ戦争中であっても個人の自由を守ろうとするイギリス人の心意気といったものをテーマにしたつもりだった。ナチスの戦闘機による爆撃を受けていたときにも、ロンドンの人々は互いにユーモアを言いながら励まし合っていたという。あの戦争中に英国で制作された映画、たとえば The Life and Death of Colonel Blimp(老兵は死なず)などを見ても、そこにはユーモアとフェアプレーの精神があふれている。この映画はドイツ人との友情までがテーマになっていたから、時の首相チャーチルはそれが気に入らなかったらしいけれど、ニッポンなどとはちがって、政治権力をもって強制的に上映禁止にするようなことをしなかったのは、さすが英国だとおもう。

このブログでも何度か歌ってもらったことのある小さな英国少女コニー(Connie Talbot)が、歌をうたうことで何がいちばんいいことだとおもうと質問されたとき、たしかこんなふうに答えていた。---- みんなに楽しんでもらえること。

集団主義の社会は、しばしば個人から楽しみを奪うようなことをする。楽しむという行為を不道徳なことであるかのように非難したりする。ニッポンがまた戦争を始めるようなことになれば、かつての天皇制軍国主義の時代と同じような社会になるだろう。すでに学校教育の中では天皇制の讃歌「君が代」を強制するようなことをしているし、庶民の中にも、国歌を尊重できない人間は非国民であるかのようにみなして、右翼権力と一緒になって個人の自由を迫害しながら愛国者を気取っている人々がいる。彼らは「君が代」の歴史を知っているのだろうか。天皇制がどれほどに日本人までをも苦しめたかという、その悲惨な歴史を知っているのだろうか。

ぼくはなぜいつもニッポンの社会に批判的になるのか。それはコドモたちやイヌたちにとって楽しい社会ではないからだ。遊びを通していろんなことを学ぶ彼らにとって、非常に生きにくい社会だからだ。オトナたちが彼らと向かい合って人生を楽しむ模範を示せない社会だからだ。自由のない社会だからだ。自由を抑圧することを正義とみなすような人間が威張っている社会だからだ。

今日のビデオ:Any Dream Will Do
-- Connie Talbot

2 July 2008

夏がくれば

子どもの頃から音楽が好きだった。夏休みにはいつも決まって家を離れ、年上のいとこたちに囲まれて過ごしていたので、そのせいで小学校低学年くらいの頃にはすでに欧米のロックやポップスのレコードを聴いていたのだとおもう。日本の歌謡曲にはほとんど関心がなかった。メロディーというより音作り(つまり編曲の仕方)が、ぼくの好みではなかったようだ。

歌謡曲は好きになれなかったけれど、学校で習うニッポンの歌には好きな歌もあった。ぼくが通った学校では教科書以外に生徒ひとりひとりに歌集が渡されていたが、それを家でも自分の部屋で時おり開いては、気に入った歌をうたったものだ。夏になると思い出す歌といえば、やはり「夏の思い出」になるだろう。これもぼくの好きな歌だった。
夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬 遠い空
霧のなかに うかびくる
やさしい影 野の小径
水芭蕉の花が 咲いている
夢見て咲いている水のほとり
石楠花色に たそがれる
はるかな尾瀬 遠い空
夏がくれば思い出すといえば、若い頃、ひとり電車に乗って湘南へ向かったときのことを、今でもふと思い出すことがある。何があったのかは忘れた。とにかく海で夕陽を見ようとおもって電車に乗ったのだ。しかし鎌倉の駅に着いたときにはすでに日が暮れていた。もう夏の終わりに近かったのかもしれない。普通なら大好きな江ノ電を利用して七里ヶ浜辺りまで行くところだが、もう急ぐ必要はなかったし、外を歩くのも気持ち良さそうだったので、駅を出て由比ヶ浜の方へ向かって歩き始めた。

やがて浜辺に着くと、海は真っ暗で、辺りに人影はないようだった。ぼくはひとり波打ち際で波を相手に戯れていた。そのあと海からやや離れた場所で砂の上に腰を下ろし、しばらく海の方を見ていた。ウォークマンで何か音楽を聴いていたかもしれない。ふとうしろを振り向くと、歩道から浜に下りる階段のそばに人の姿が見えた。中高生くらいの女の子だった。薄暗いところにひとりで坐っていて海の方を見ているようだった。ということは、ぼくがひとりで波打ち際で遊んでいたのも見ていたのだろうか。デリケートなぼくのこころは、ひどく動揺した。

それからその浜辺で何がどうなったかは、今となっては何も思い出せない。ただ思い出すのは、帰りの電車の中で、真っ暗な窓の外を見ながら、あの女の子のことを考えていたことだ。ぼくが考える人状態になる場所は必ずしも風呂場の中だけとは限らない。あんな時間にひとりであの子はなぜ浜辺に来ていたのだろう。電車に乗って東京からやって来たようには見えなかった。きっと地元の子だったのだとおもう。二度と会うことはできないだろうな。ということは、「なぜ海を見に来ていたの?」と質問することもできないだろうな。でも考えたら、ぼくだってそんな質問をされたら困ってしまう。

電車の暗い窓の外にぼんやり映った自分の姿を見ながら、吉祥寺のジャズ喫茶メグでよくリクエストした曲 Please Send Me Someone To Love(Phineas Newborn Jr の弾くピアノ)のメロディーをなぜか思い出していた。

今日のビデオ:夕陽に別れを告げて
-- Southern All Stars

1 July 2008

クリスチャンの罪


トニー・ブレアという人は、現代では珍しくクリスチャンぽい首相ということになっていたらしい。いつも聖書を携帯していたようだし、米国のイラク侵攻を支持するかどうかでも、神に祈ってから決めたという。

いきなり話が英国から米国に飛んでしまうけれど、そういえばブッシュ大統領の2期目の大統領就任演説を評して、ニューヨーク・タイムズだったかどこかの記事が、まるで牧師の説教のようだったと書いていたとおもう。ぼくもその演説を聴いたけれど、安っぽいハリウッド映画に登場する大統領の姿を見たような印象しかなかった。いかにもアメリカ人が好きそうな単語(freedom とか liberty とか)を連発してる感じで、さりげなく freedom's enemies(自由の敵)なんてのも入れてあったりして、我こそは正義の戦士というイメージを植え付けようとしているように見えた。

ブッシュ大統領の英語力のお粗末さというか頭の悪さというか、そういったものならすでにロンドン・タイムズなどが的確に皮肉っていたから、今さらぼくが言うべき言葉も見つからないが、彼のバックにはもちろん頭のいい(つまり悪賢い)スタッフがそろっているわけだ。大統領選挙などにしても、莫大な費用をかけた宣伝によって当選したようなものだろう。アメリカという国では、有名な(つまり悪賢い)弁護士を雇えるだけの大金持ちなら、人を殺しても無罪になるというウワサをどこかで聞いたような気がする。

ぼくはクリスチャンの端くれとしていつも残念におもうことがある。いわゆるキリスト教文化圏にあっては、クリスチャンぽく見せることが正義になってしまう傾向があるから、それを政治的権力者たちが利用するようなことをする。米国を支配する悪の権力が計画した戦争など、どうして聖書の神が認めるだろうか。わたしゃ神に祈って決めたと口で言うのはたやすいが、自分の思い込みや欲望を正当化するために神を利用しているにすぎないのじゃないか。もしそうなら、これほどまでに恐ろしい罪はないのであって、そういう罪の感覚がないのだとすれば、その人にキリスト信仰があるとはおもえない。

去年ジョン・ストットは引退したが、最後のメッセージの中で彼はこのように言っていた。
神はご自分の民がキリストに似るようになってほしいのです。

God wants His people to become like Christ.
いつものことだけれど、これはストットの主観から出た言葉ではない。聖書を素直に読めば、このメッセージが聖書から発していることがわかるだろう。福音派のクリスチャンはなぜ聖書の権威をだいじにするのか。それは人間というものがどれほど主観的な生き物であるかを知っているからだとおもう。口では「神」と言いながらも、ひとはその神をどれほど自分の主観によって創っていることだろう。それこそが人間の最大の罪であるというのが、そもそも聖書の本質的なメッセージだというのに。

イラク侵攻の支援を神に祈って決めたというトニー・ブレアは、その際には確かに神からの答えを聞いたようなつもりでいたのかもしれない。しかし、今や英国の国民の多くは、あの決断を正しい決断だったとはおもっていない。ブレア自身もきっと後悔していることだろう。ならば、自分の信じた神がまちがっていたことになるのか。だから彼は、イングランド国教会をやめてカトリックに改宗したのか。

いつも聖書を携帯し、神に祈るのであるとすれば、自分の内にある創られた神を捨てて、素直に(つまり主観から解放されて)聖書の言葉にこそ耳を傾けるべきだろう。教会を替えるのだとすれば、聖書に忠実な教会こそを選ぶべきだろう。聖書に忠実な教会とは、どんな教会か。それは見かけ上のクリスチャンらしさとは別の次元で判断しなければならない。クリスチャンが本当に「キリストに似る」ということを目標にする限り、いつまでもその目標からは程遠い自分の情けない姿を思い知るのだ。それを絶えず忘れていないクリスチャンが集まっている教会こそがキリストの教会と呼べるだろう。

たとえば、ノーベル平和賞を受賞したクリスチャンがいたとしよう。その人の属す教会が本当にキリストの教会かどうかは、人間ではなく神が決めることだ。その受賞者が本当にキリスト者であるかどうかも神が決めることだ。その神とはだれか。それは人間の主観が決める問題ではないはずだ。ローマ法王が決める問題でもないだろう。英国国教会の首長エリザベス女王が決める問題でもないだろう。もちろんBBとかB&Bとかが決める問題でもない。ジョン・ストットを敬愛しているエリザベス女王なら、その答えを知っているはずだ。残念ながら、今のところ、トニー・ブレアはまだ知らないらしい。やはり彼の場合、政治で忙しすぎたから、神を知る暇がなかったのだろうか。

今日のビデオ:Ben
-- Hayley Westenra

☆ ネズミと友だちになる少年を描いた1970年代のアメリカ映画「ベン」の主題歌を歌っているこの女の子は、あのヘイリー・ウェステンラです。彼女にもこんなに歌がへたくそな時期があったのです。7歳の頃の映像らしいです。だれが記録したのか、とても人間わざとはおもえないカメラワークですね。もしかして彼女の愛犬が撮影したのでしょうか。