☆☆ BB's Blog ☆☆ KV 2

ぼくの名前はBBです。「悪いヤツ」と呼ぶ人もいます。でも、犬には「いいヤツ」だと思われているかもしれません。これでいいのだ。バカボンのパパなのだ。ちなみに、バカボンもBBみたいですが、ぼくはバカボンとは別人です。

29 February 2008

Why I am a Christian (5)


愛犬の死を嘆きながら、ぼくは聖書を読みつづけた。自分の主観で慰められるのはいやだった。愛犬を利用して、自分だけ平安な気分になるのはいやだった。ぼくが求めていたのは、愛する者との再会だった。ただその確信がほしかった。自分の思い込みではなく。

一匹の犬のことで、ここまで落ち込み、ここまで神に助けを求めるクリスチャンのいることを知って、キリスト教もたいしたことはないじゃないかと呆れる人がいるだろうか。ぼく自身が呆れたくらいだから、そのような人がいても、何も反論することはないだろう。

聖書を通して、ぼくは何を知ったか。神はご自身の創造されたものすべてに対して,いつくしみ深い方であること。この地上に生きる人間にも動物にも、悲しみを経験せずにはいられない現実があっても、その哀しい現実の中で、神は人々に向かって、眼には見えない確かな希望を与えようとされている。その愛を受け入れず苦悩の中で絶望することも、また、気晴らしで悲しみを忘れることも、個人の自由だろう。しかし、たとえ神を決して見上げることのない人々に対しても、神は彼らの苦悩を憐れみ、なんとか魂の平和を得るようにと望んでおられるのだ。それが、愛犬の死を通して学んだ聖書のメッセージだった。

それだけではなかった。何よりも心を打たれたのは、ぼく自身が実に罪深い人間であるにもかかわらず、神は多くの恵みを与えてくださっていたという事実に気づいたことだった。ぼくはだれよりも愛犬の死を悲しんでいたつもりでいたのかもしれないが、神こそがそのように哀しい人の世の現実を悲しんでおられる。その事実をハッキリと知ることができた。
「ゆりの花のことを考えてみなさい。どうして育つのか。紡ぎもせず、織りもしないのです。しかし、私はあなたがたに言います。栄華をきわめたソロモンでさえ、このような花のひとつほどにも着飾ってはいませんでした。きょうは野にあって、あすは炉に投げ込まれるかもしれない草をさえ、神はこのように装ってくださるのです。ましてあなたがたには、どんなによくしてくださることでしょう」(ルカ12:27)
流行の洋服を身にまとい、ヴィトンのバッグをかたわらに置き、ラッキー・ピエロのクジラ肉バーガーを食べながら、幸福な気分になる乙女も、この世には存在するのだろう。彼女が「いただきます」と言って食事をするとき、だれに向かって感謝したのだろうか。

ぼくはなぜクリスチャンであるのか。それは神がぼくのような者さえも愛していてくださる。その愛を知ったからにほかならない。たとえ勇ましく高尚な生涯を終えることができたとしても、愛する一匹の犬と天国で再会できないのなら、ご飯ものどを通らないくらいに落ち込んでしまう。こんな惨めな者さえをも神は決して見捨てることはないのだ。愛犬家グループの管理人がぼくを追い出し、老人党掲示板の管理人がぼくを追い出したとしても、神は決してぼくを見捨てることはない。
「神ご自身が彼らと共におられて、彼らの眼の涙をすかっりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである」(黙示21:3 - 4)

今日のビデオ : Amazing Grace
Amazing Grace, how sweet the sound,
That saved a wretch like me
I once was lost but now am found,
Was blind, but now I see ...

28 February 2008

Why I am a Christian (4)


Why I am a Christian(私はなぜクリスチャンであるか)と題しておきながら、ぼくはまだ自分のことは何も語っていない。ラッセル、ウィルバーフォース、矢内原忠雄、というような偉人を語って来たけれど、自分も同じように後世に名を残す人間になりたくて、ぼくはクリスチャンをやっているのか。立派な生き方をしたのは、この3人に共通しているとおもう。ぼくもそれにならいたいと願っているのだろうか。

ラッセルが生涯忘れなかった「小さき群れよ、恐れるな」というイエスの言葉は、彼の人生を勇ましく高尚なものとしたかもしれないが、イエスを信じない彼にどれほどの希望があったのだろうか。平和を力強く願っていても、彼の心に平和があっただろうか。自分の人生が苦悩に満ちていたと自伝で語ったラッセルは、この世を去るときにも、その苦悩を背負ったままだったのだろうか。

今月16日、ぼくの愛犬BBCがこの世を去った。世界平和を願って苦しんだラッセルに比べれば、ぼくの苦悩は個人的なものにすぎないかもしれない。しかし、こんなに大きな苦悩は、まるで経験したことがないようにおもえた。ぼくは若い頃から、国家の暴力で虐殺された人々のことをおもうと、やり切れない気持になって、それがエネルギーとなって平和を願い続けて来たようにおもう。ラッセルほどではないとしても、ぼくにも似たような苦悩は経験していたような気がする。けれど、愛犬を失った悲しみはあまりにも大きくて、1週間ほどのあいだ、ご飯を食べられないほどだった。

愛犬の危篤状態を知ったとき、ぼくは神に祈った。自分は彼より先に死ぬことはできないといつもおもっていたから、ぼくの残りの人生が短くなってもいいですから彼を助けてくださいと、ぼくは祈った。しかし、その祈りはこたえられないかのように、次の日、彼はこの世を去ってしまった。ぼくは彼を抱きしめ、ただ「ありがとう」と言うしかなかった。

ご飯も食べずに引きこもっていたあいだ、ぼくはまた神に祈っていた。ぼくの犬は今たしかに天国にいるのですか。ぼくが天国に入れるのなら、彼のほうがずっと天国にふさわしいです。主イエスもそうおもうでしょう。

これが祈りと呼べるのか自分でも呆れてしまうくらいに、ぼくはぶつぶつと何かをつぶやいていた。天国を信じて平安な気持になったかとおもえば、一転して、なぜ助けてくださらなかったのかと、神に向かって文句を言ったりもした。彼が助かるのなら、ぼくが代わりに死んでもよかったとまで言った。

このような苦悩の中で、ぼくはずっと考えていた。考えるひと状態になる癖は、こんな場合にも威力を発揮するらしい。ぼくはほんとうに天国を信じているのか。天国がこの世と比べてどれほどすばらしい場所であるか。そのことをほんとうに信じているのか。クリスチャンとしての形式的な信条としてではなく、単なる慰めや気晴らしとしてではなく、たしかにリアルな存在としての天国を、ぼくは信じているのか。

きょうの写真に写っている人は、ぼくが学生時代にキリスト信仰をもつきっかけとなった本 Basic Christianity を書いた英国の牧師ジョン・ストットだ。彼が死について語るメッセージの録音を、きのう聴くことができた。クリスチャンだって愛する者の死を嘆き悲しむ。クリスチャンにも自然な感情がある。しかし、望みのない人のようにただ嘆いていていいのか。死に打ち勝ったキリストをおもい元気を出しなさい。いつものように聖書に忠実なメッセージであった。学生時代のぼくに信仰をもつきっかけを与えてくれたストットが、まるでぼくを励まそうとして語っているような気さえした。

神はぼくがどれほどに英国系イヌバカ紳士であるかを知っておられるのだろう。動物を愛する生っ粋の英国紳士ジョン・ストットと出逢わせてくれたのも、神の恵みだったようにおもう。

今日のビデオ:Over the Rainbow

27 February 2008

Why I am a Christian (3)

大日本帝国の軍隊が中国を侵略し始めた頃、雑誌「中央公論」に「国家の理想」と題して寄稿した学者がいた。彼が当時の軍部やマスコミに気に入られるような御用学者だったのなら、大東亜共栄圏だとかの偽善を高らかに唱えたことだろう。しかし、彼が語った国家の理想とは正義と平和であり、弱い者の権利を強い者の侵害と圧迫から守ることこそが国家の理想であると主張し、ニッポンの中国侵略を批判したのだった。その投稿は直ちに発禁削除処分となった。それでも彼はひるまず、その翌月には、「神の国」と題する講演の中で、国家の理想を失ったこの国は葬られねばならないと語った。彼が東京帝国大学の教授職を失ったのは、その直後だった。

その人の名は矢内原忠雄(やないはらただお)。おそらく歴史教科書にも載らない学者だろうから、知る人は少ないにちがいない。しかし、歴史学者の家永三郎は、彼のことをおもい、こう言い残している。
戦争勢力の暴虐に対し憤りの念をいだきながら何一つ抵抗らしい抵抗もできず、空しく祖国の破滅を傍観するの他なかった私は、自己の無力を顧みて悔恨の念にさいなまれると同時に、このような勇気にみちた抵抗を最後まで継続した人物の存在を知ったときには、驚きと畏敬と、そして日本人の良心のつなぎとめられた事実に対するよろこびの念のわきあがるのを禁ずることができなかった。(南原繁編「矢内原忠雄 - 信仰・学問・生涯」)
矢内原は、一高の生徒だった頃、内村鑑三の聖書研究会に参加するようになった。それから3ヶ月も過ぎない1912年1月、内村は愛する娘ルツ子を病気で失った。彼女はまだ17歳だった。父親としての内村の悲しみはどれほど大きかったことだろう。しかし、その告別式の日、矢内原はそれまで人から聞いたことのない不思議な言葉を内村から聞いた。
「これはルツ子の葬式ではない。結婚式である。彼女は天国に嫁入りしたのである」
これを聞いた当時の矢内原にはまだキリスト信仰がなかった。悲しみのあまり先生の気が狂ってしまったのじゃなかろうかとさえ思ったらしい。

雑司ヶ谷墓地にルツ子の棺が埋められる時、内村は一握りの土をつかみ、その手を高く上げて、「ルツ子さん、万歳!」と叫んだ。そのときに受けた感動を、矢内原は決して忘れなかったようだ。キリスト者の信仰は、この世を超えたものを信じている。きっとそのような思いになって、キリスト教の本質に近づいたことだろう。

ぼくは学生時代に、大学の教室で荒井献(あらいささぐ)の講演を聴いた経験がある。荒井教授は、岩波新書の『イエスとその時代』などで知られる神学者だ。講演の題目は内村鑑三だった。荒井教授は、内村のことを間接的な師と仰ぐほどに尊敬していると言いながら、内村が聖書に書かれていることをあまりにも素直に信じていたのは残念におもうと言った。つまり内村鑑三ほどの偉大な先生が、子どものように聖書を信じていたという事実は、私には全く理解しがたいことであり、それがなければもっと尊敬に値する偉大な先生として後世に名を残しただろうに。そんなふうに、ぼくの耳には聞こえた。

それを聞いてぼくは心の中でおもった。この教授はどこかのキリスト教会の信徒らしいし、ニッポンを代表する神学者でもあるのだろうけれど、キリスト教の本質が何もわかっちゃいないのじゃないだろうか。少なくとも内村鑑三のキリスト信仰の本質に関しては、何も理解していないにちがいない。内村鑑三が内村鑑三としての生涯を全うできたのは、彼の幼子のような信仰なくして不可能だったという事実に全く気づいていないにちがいない。

幼子たちをイエスのそばに近づけようとする人々をしかった弟子たちを見て、イエスはこう言った。
「子どもたちを私のところに来させなさい。神の国は、このような者たちのものです。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません」(ルカ18:16 - 17)
かつて矢内原忠雄が、理想を失ったニッポンを葬り去るべきだと言ったのは、そこに彼のキリスト信仰を見なければ、きっと誤解するだろう。キリスト信仰は、罪に死んで新しいいのちによみがえることを信ずる信仰なのだ。地上の欲に支配された肉のからだから自由になり、天に国籍をもつ者として、やがて天国に入る日を待ち望む信仰、それがキリスト信仰なのだ。そのすべては聖書に書いてあるからそう信じることができるのであって、それを学者の理知やオトナの主観で否定されては、クリスチャンといえども羊飼いのいないヒツジのように、さまよい続けるしかなくなってしまうだろう。

今日のビデオ:I Believe
-- Connie Talbot

26 February 2008

Why I am a Christian (2)

奴隷の歴史は遠く旧約聖書の時代にまで遡る。これも人の世に罪が入ったからだろう。聖書を読む限り、創造主は人をそのように差別してはつくらなかった。新約の時代に入って、初代教会が生まれた頃にも、奴隷が存在していたけれど、使徒パウロは、イエスを信ずる者に区別のないことを示してこう言った。
「そこには,ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません」(コロサイ3:11)
今どき奴隷制を認める人は珍しいとおもうが、ギリシヤ人とユダヤ人の区別がないということは、日本人とユダヤ人の区別もないということを意味するのであって、これはおそらく現代のユダヤ教徒の多くにとっても受け入れがたいことになるのじゃないだろうか。ユダヤ教はユダヤ人を特別扱いする創造主を崇める宗教といっていいけれど、キリスト教の創造主は人を人種や民族で区別することはないのだ。一部の日本人がいまだに勘違いしているようなアングロ・サクソンの宗教でもないのである。

きょうは奴隷制廃止のために生涯を捧げたイギリス人ウィリアム・ウィルバーフォース(William Wilberforce, 1759 - 1833)の話をする予定だった。それがなぜキリスト教の話で始まったのかといえば、奴隷制廃止の歴史には、キリスト者が深く関係しているからだ。ウィルバーフォース自身も若くして聖書的な信仰に目覚め、その信仰によって社会改革のために働いた人だった。彼は21歳の時(1780年)、地元ハル(Kingston upon Hull)を代表して国会議員となるが、社会改革を目指して活躍するようになるのは、純粋なキリスト信仰をもち始める1784年以降になる。当時ウィーンにはモーツァルトがまだ生きていて、ドイツのボンでは、14歳の若きベートーヴェンがピアノで家計を支えていただろう。

奴隷貿易を禁止する法律の必要を説くウィルバーフォースの主張は、当初から議会内で猛烈な批判を受け、その前途は多難であった。しかし、彼は決してあきらめずに英国議会の良心に訴えるかのようにその運動を続けた。そして20数年後の1807年、ついに議会で奴隷貿易廃止法案が可決されたのだ。それからのちも彼の戦いは続き、奴隷制そのものを廃止するために残りの人生を捧げた。ウィルバーフォース自身は1825年に政界を引退するが、その8年後の1833年7月26日、英国議会は、奴隷制そのものを廃止する法案を可決した。ウィルバーフォースがこの世を去ったのは、その3日後だった。

去年、奴隷貿易廃止法案が可決されてちょうど200年が過ぎていたわけだが、そのウィルバーフォースの働きを記念して、英国で1本の映画が公開された。題名は、Amazing Grace(驚くばかりの恵み)。これと同じ題名の歌はいつのまにかアメリカ産ゴスペルであるかのような扱いを受けているようだが、元々はジョン・ニュートンというイギリス人が作詞して英国で生まれた賛美歌だ。ニュートンは、キリスト信仰に目覚めて改心するまでは、奴隷商人だった。彼はやがて英国国教会の牧師になるが、ちょうどその頃、ウィルバーフォース家に生まれたのが、ウィリアムだった。

映画の中でウィルバーフォースはニュートンに会いにゆく。実際、彼はニュートンから信仰的な励ましを受けていたようだ。国会議員の集うサロンでウィルバーフォースが「アメイジング・グレイス」を歌うシーンは、感動的だった。この映画を観た多くの人々は同じおもいで見たことだろう。

ウィルバーフォースは、上流階級の人々に奴隷船を見せ、こう叫んだ。
Remember God made man equal!

覚えておいてください、神は人を平等につくられたことを!
この映画がなぜニッポンでは公開されなかったのか。これもこの国の七不思議のひとつになるだろうか。

ぼくは、あの映画の中に動物たちがしきりに登場することに注目していた。映画のテーマは奴隷貿易廃止のために戦う人間の良心(あるいは信仰)ということになるのだろうけれど、ウィルバーフォースは、王立動物虐待防止協会の歴史にも関係していたのだ。リチャード・マーティン(Richard Martin, 1754 - 1834)が英国議会で最初に動物虐待防止法案を提議し始めた頃、その賛同者にはウィルバーフォースも含まれていた。

映画Amazing Graceの始まりのシーンに、道ばたで倒れている馬が、ふたりの男にむち打たれ、足で蹴られている場面があった。英国にもこんな時代があったのかと、ぼくは今さらながらに驚き、またつらいおもいにもなったけれど、そこを通りかかった馬車の中からウィルバーフォースが出て来て、友人が制するのも聞かずに男たちのいる場所までやって来て、2メートルはあろうかと思えるほどの大男の前でもひるまず、馬への暴力をやめるように、静かな声で毅然と言ったのを見たとき、ウィルバーフォースという人のすべてを見たような気持になった。

そのあとにも、この映画の中には、いろんなシーンに犬やウサギやヒツジなどが出て来て、それがみんな自由に幸福そうに生きているのがよくわかり、ぼくにはそれが何よりもうれしく思えるのだった。この映画を作ったスタッフは、やはり英国の動物愛護の歴史の中で育った人たちなのだ。そうおもうと、ぼくはよその国の歴史のことであっても、ほんとうにありがとうと、天国にいる人々に向かって感謝せずにはいられなくなってしまう。

今日のビデオ:Amazing Grace

25 February 2008

Why I am a Christian (1)

バートランド・ラッセルは無神論者だったということになっている。その著書の中には、Why I am Not a Christian(私はなぜクリスチャンでないか)というのまであるくらいだから、きっとそうだったのだろう。ニッポンでクリスチャンでないといっても、創価学会だったり霊友会だったり、いろいろ宗教は選び放題であっても、英国でクリスチャンでないということは、無神論者のほかには道がなくなってしまうのが普通なのだとおもう。

そんなラッセルではあったけれど、ぼくが読んだ自伝によれば、たしか祖母かだれかが敬虔なクリスチャンで、そのひとの座右の銘に「少数派であることを恐れるな」というようなのがあって、これを彼は生涯いつも忘れなかったという話を書いていた。第一次大戦時、軍隊を指揮すべき社会的使命のある貴族でありながらも反戦を唱えて牢獄に入れられたラッセルの心の中には、英国の同胞すべてから非難されようとも反戦を主張する覚悟でいたのだろう。
小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父なる神は喜んで御国(みくに)をくださるのだから。(ルカ12:32)
おそらく彼の忘れなかった言葉というのは、聖書のこの箇所がその出典になるのだとおもう。例によって現物をさがしたのだけれど、3巻ものの自伝のうち見つかったのは第2巻だけで、肝心の第1巻が見つからなかった。

その第2巻を最初に出版したのは、1968年、ロンドンのGeorge Allen & Unwin社になっている。今ぼくの手元にあるのは、その同じ出版社から出た第2版だ。ラッセルが亡くなったのは1970年2月で、1911年に冤罪で処刑された幸徳秋水と同い年だというのに、この地上で98年ものあいだ生きて、ビートルズの「愛こそはすべて」までも聴いていたはずだから、すごいというしかない。

これも記憶によれば、自伝の最初に彼は、自分の人生がいつも苦悩に満ちていたようなことを書いていた。いま思い出すのは、anguishという単語だ。確認はできないけれど、たしかにラッセルはこの単語を使っていたとおもう。これは激しい精神的苦痛や悲哀を表現する言葉だ。彼の苦悩は、自身の生活から来るというよりは、世界の惨状から来るものであった。平和主義者として戦争を拒否したラッセルではあったけれど、ナチスドイツに対しては軍隊による抗戦を支持した。戦後は一貫して核兵器廃絶を訴え続けたラッセルであったが、太平洋戦争末期には核爆弾の使用を支持する発言をしたこともあった。これも彼の苦悩であったにちがいない。

今日のビデオ:Amazing Grace

17 February 2008

友をおもう


ネット世界でのBBはどれほどに実際の自分とは違っていることか。それはぼく自身がいちばん知っているつもりだった。動物愛護を訴え、平和を訴え、いつも社会的弱者の幸福を願っているかのようなことを書く。しかし、現実はどうだろう。ぼくはどれほど自分の語った言葉に忠実に生きて来ただろうか。

愛を言葉で語ったその日、ぼくは自分のそばにいる愛すべき存在をどれほど愛したことだろう。自分にはもったいないほどに美しいいのちに輝いていたそのいのちを、ぼくはどこまでだいじにしたことだろう。ぼくは正義のために闘っているつもりでいた。しかし、そのエネルギーは一体なんのためだったのか。結局は自分自身のためだったような気がしてならない。そばにいる愛すべき存在を忘れていたような気がしてならない。

ぼくはおもう。どうしてぼくのように愚かな人間をいつも信頼してくれる友がいるのか。いたのか。その友情にぼくは値するのだろうかと。

今日のビデオ:Ave Verum Corpus

12 February 2008

子猫・クジラ・戦争

子猫殺しで有名な坂東眞砂子のことを,あるネコ好きの日本人が非難していた。当然だとおもう。その同じ日本人が、クジラ狩りに反対するアングロサクソンを中傷していた。これがぼくには理解できない。子猫は可愛いけれど、クジラは可愛いとはおもえないからだろうか。要するに自分の主観ですべては決まるということになるのか。

クジラと海中で対面した体験のあるダイバーの中に、その体験をおもいながら、ただすごく感激した(あるいは、小学生ふうにいうなら、すっごく面白かった)というような主観的感想しか出てこない人がいたとすれば、そのダイバーはきっとクジラ狩りを批判することはしないだろう。彼にはクジラとの出逢いが、しながわ水族館のお魚さん見学とさほど区別がつかないのかもしれない。

海中でクジラと出逢ったとき、あんなに大きなからだをしているのに、とてもやさしい眼をしていて、その眼がちゃんと自分を見つめている。まるで人間のように、いや、やさしい人間のように、クジラにはたしかに豊かな感情がある。その事実を知ったダイバーに、クジラ狩りを受け入れることが可能だろうか。

実際にはクジラを見たことがなくても、子どもの頃にBBCの番組などを通してクジラの生活を知った人は、西洋人には多い。彼らにとっては、ネコ好きの日本人がネコを殺しちゃならぬとおもうのと同じように、クジラも殺しちゃならぬのだ。そういう人間がこの地球上には少なくないということ。この事実をどこまでも拒絶するつもりなら、子猫殺しだって非難できなくなるのじゃないだろうか。

この世に絶対的なものはない。そうニッポンの良識派はまるで口癖のように言う。ならばネコだってイヌだって、その肉を食いたい人間がいるなら殺して食えばいいし、毛皮にしたけりゃ殺して皮を剥げばいいことになる。何も議論の必要などない。それが一般的な日本人のホンネじゃないのか。実際、ぼくは日本語圏の愛犬家グループで、イヌの肉を食べたい人がいても別にいいじゃないかみたいな意見をもつ愛犬家が非常に多いことを知ったのだ。

そんな日本人だけれど、ただヒトだけは特別になるんですよね。今このときも、戦争という国家の暴力によってヒトがヒトを殺している。この現実だけは絶対的に批判するわけですよね。それとも、これも時と場合によっては戦争も可ということで落ち着いてしまうのでしょうか。やはりこの世に絶対的なものは何もないのですか?

【写真の解説】北海道の函館を中心に営業しているラッキー・ピエロという名のハンバーガーショップで、2005年から売り出したクジラ肉バーガーを食べる若い女性の写真です。撮影したのはロイターの記者。従って、世界中の人々がこの写真を見たはずです。クジラの肉を食べるのはニッポンの文化だと、彼女は言ったそうです。英語圏でぼくと議論した中国人も、イヌの肉を食べるのは中国の伝統だと言ってました。その中国人は犬を飼った経験があるそうで、その犬が死んだときは悲しくて泣いたとも言ってました。ニッポンの愛犬家と似ているなあと思いました。

今日のビデオ:Beluga Whale(という種類のクジラ)

☆ ニッポンでは「シロイルカ」と呼ばれていますが、英語圏ではクジラになっています。もともとイルカとクジラの区別はそれほど明確なものではないのです。わざわざイルカと名づけたのには、クジラ狩り支持派からの要望でもあったのでしょうか。

2 February 2008

日本語圏のネット世界(3)

ぼくはいろんな日本人を見て来たけれど、マッカーサーが日本人を12歳の少年にたとえたのは、たしかにそうだなあと思えることが多かったかもしれない。あのマッカーサー発言のことを、ウヨク連中は、日本人を見下したとして頭に来てるらしいが、ぼくの解釈は違っていて、若い民主国家としての日本国の将来に期待しての発言だったのだと思っている。ただし、世界観が狭く自己中心になるというのも少年の特質になりうるわけで、日本語圏のネット世界で出会ったオトナたちを見ていると、そんな少年の姿が浮かんで来たりもするのだ。

愛犬家グループとは、一体なんのためにあるのか。念願の一戸建て住宅を手に入れ、子ども時代にアメリカ産テレビドラマで見てあこがれた優雅な犬との生活を始めたからには、その喜びを広く世間に向かって公開したいと願う人がいたとしても、ぼくはそれでいいと思っている。ただし、そういう人ばかりで占領されるようなグループを「愛犬家グループ」とは呼ばないでもらいたい。問題だらけのニッポンのイヌ事情に無関心のまま、「そうざますわね、おほほほ」などと笑ってばかりいてもらっちゃ困るのだよ。そういう当たり前の常識をもっているにすぎないのが、この英国系イヌバカ紳士たるBBの正体にすぎないのだけどなあ。

もちろん日本人はどこでもあそこでもホンネとタテマエを使い分けるものだ。自分の見栄などは努めて隠しながら、時には動物愛護精神で何かを訴えることもあるだろう。しかし、そこにぼくのようにニッポンの常識に反する悪いヤツが現れると、とたんに彼らヨイコの正体が見えて来ることもあるんだね。そういうときに管理人はどう出るか。ぼくがネット上での群れを判断するときの基準は、管理人の信条といっていいように思う。

ぼくが管理人に追放されるまで抵抗する場所があるとすれば、それはその場所に大きな社会的責任があると信ずるからである。ネットウヨクが常連として集まるような場所なら最初から何も期待しないのだ。掲示板の実態がいくらぼくの理想にほど遠かったとしても、掲げる看板が平和だとか護憲だとか動物愛護だとかというように、社会的に上等なものである限り、なんとか集まる人々の力を合わせて、理想に向かって前進し続けたいと願うのだ。

ぼくは今までどれほど日本語圏のネット世界に失望して来たことだろう。どれほど常連たちから傷つけられたことだろう。それでもぼくは、「傷つけられた」とは言わない。「発言しても批判されるのがいやだからROMに徹することにします」だとか、「誰々さんの発言が不愉快だから退会します」だとかと言ったことは一度もない。ただ管理人から追い出されたことが2度ほどあるだけだ。

その経験を通して、ぼくは日本語圏ネット世界の正体を知ることができたように思う。正義よりもだいじなのは自分のプライド。それを傷つける者は許せない。それが彼らの本性なのだろう。あゝ、彼らのプライドによって、どれほど傷ついている人がいることか。そういう人は、「あの犬が怖いよお,お母ちゃん」などと言って、子ども好きのおとなしい犬を見てまで泣きべそをかく少年のような真似はしないものだ。

今日のビデオ:When I See You Smile
-- Bad English

☆ アメリカ人が作ったビデオのようで、ニッポンと同じようにリードにつながれている犬が目立ちますが、危険犬種とみなされ,とかく評判の悪いピットブルをおもうその気持は理解できます。アメリカではニッポンと同じように今なお闘犬を楽しみながらカネ儲けしている人間がいるようです。それに利用されるのがこのピットブルという犬種です。イヌをワル者に決めつける前に、凶暴なヒトこそなんとかすべきでしょう。
When I see you smile
I can face the world...

日本語圏のネット世界(2)


常識というものが常識として働かない社会があるとすれば、いっそ非常識であるほうがよほど社会は常識に向かって進化してくれるだろう。英国にも非常識な人間はいる。本当に悪いヤツはいる。そういう連中が集まって、ニッポンのネットウヨクだとかのように騒いでいる場所だってあるのだろう。ぼくはそんな所では発言したことがない。発言しようと思ったこともない。ぼくが英国のネット世界で発言して来た場所は、BBCであり、また愛犬家グループであった。そのどちらでも、自分の常識が常連たちに通じることを経験したものだ。

ところがニッポンはどうだろう。地方都市での生活で、恐るべきイヌ事情の実態を知り、このままでは大変だと思って参加した愛犬家グループだったが、愛犬家というよりはペット産業に関係しているような常連の姿が目立った。当然のことそのような連中とはイヌ観がちがっているぼくだから、彼らに反論していたわけだけれど(正確にいえば、ぼくの発言を批判したり妨害する彼らに反論していたというのが事実だけれど)、寄ってたかって嫌がらせを言ってもぼくが出て行かないものだから、彼らはそのうち舞台裏で管理人を巻き込んでの追放運動を始めていたらしい。

管理人は曲がりなりにもぼくの動物愛護精神を理解してくれていたようだ。しかし、その管理人さえもがオフリード論争の中で日本的な常識に支配されたような意見を言ったので、ぼくはビックリ仰天の仰向け状態になったのだ。当然それに反論したのだけれど、そのときぼくの側に立って管理人を批判したメンバーがいて、その人の口調がやや攻撃的だったせいか、管理人はすぐに彼を追放処分にした。ぼくはそれを見て、そういう管理の仕方に抗議したのだ。

そんな経緯の中で、ぼくは「世田谷美人」と名乗るメンバーとオフリード論争を続けていたのだが、そこにある日、新メンバーの投稿があって、もっと楽しい場所だと思っていたのにガックリだというようなことを言って、ぼくのオフリード論をけなしたのだった。すると、そこに常連とROM派の中の反BB分子たちが口を出して来たものだから、いい加減に日本人のムラ社会的根性に嫌気のさしていたぼくは、常連の中の親分格の男に向かってキッパリ思うことを直言したのだ。管理人がぼくを追放したのは、その直後だった。

今日のビデオ:Dogs & Kids Dancing

☆ テレビか何かの影響なのか、ニッポンの子どもたちの中には、ぼくの愛犬を見て「何か芸ができる?」ときく子が多かったように思います。ぼくの感覚では、イヌという動物は家族の一員であって、社会的マナーを身につける必要はあっても芸を習得する必要はないように思うんです。だから、そういう子どもたちのリクエストがあると、オフリードでもどれくらいにぼくの言うことを聞いてくれるかというのを見せたものです。リードにつながれている犬しか見たことのない子どもたちには、あれも芸に見えたかもしれないですね。きょうのビデオは、芸の一種になるのでしょうが、犬と子どものあいだに信頼関係があって、犬も子どもも楽しんでいる姿を見るのは、やはり楽しいものです。

1 February 2008

Not Cricket


先日、ぼくのYouTubeチャンネルをちょっと覗いてみたら、ある人からメッセージが届いているのに気づいた。日付を見ると、なんと去年の11月になってるじゃないか。そのときまでぼくのチャンネルはどういう状態だったかというと、まったくYouTubeが用意している初期設定のままで、荒れ放題の庭というほどじゃないけれども、なんの個性的特質をもたない状態だったのだ。こんな場所にも地球上のどこかから訪問者がいるということを知って、それじゃ申し訳ないという気持になった。で、ぼくは何をしたかというと、自分のチャンネルの衣替えをしたというわけだ。

しかし、そこでぼくはふと思ったのだ。ぼくのYouTube用の名前は、BadBlokefromJAPANだったのだけど、なんでそんなに長ったらしいのになったかといえば、ぼくが登録したときには、すでに別のBadBlokeが存在していたからだ。ぼくは自分の国籍がニッポンであるというよりは、新約聖書の中でパウロが言ったように、「我らの国籍は天にあり」という思いで地球人をやってるつもりなので、実をいえば、あの名前が気に入らなかった。しかも、YouTubeはぼくの自己紹介の場所に勝手に日の丸まで貼り付けていたのだから、おいおいそんなのはやめてけれズビズバー!という気分だったのだね。

というわけで、このたび、ぼくは装いも新たにYouTubeに再デビューすることにした。新しい名前は、notcricketer。そのまま訳せば、「クリケット選手じゃないひと」となるだろうか。BBCのコメディー番組にNot The Nine O'Clock News(9時のニュースじゃないよ)というのがあった。ニッポンではMrビーンで知られるようになったアトキンソンも出演していたが、なぜそんな題名だったかというと、BBC の第1チャンネルで9時のニュース (Nine O'Clock News)が始まる時刻と同時に第2チャンネルで放映されたからだ。モンティ・パイソンでおなじみBBCお得意のオバカ系コメディーだけれど、ぼくは題名からして英国的だなあと思っていた。

それで、ぼくのnotcricketerの話だけど、クリケット自体がとても英国的なスポーツであって、あのイギリス映画「炎のランナー (Chariots of Fire)」がアメリカで公開されたとき、アメリカ人には退屈だという理由で、監督の意志に反してクリケットのシーンが省略されたくらいに英国的なのだ。

で、実はぼく自身もクリケットが好きなのだけれど、cricketer(クリケット選手)の頭にnotをくっつけることで、イヌがネコになれないように、BBだってイギリス人になれない。そんな哀しい宿命を背負っている名前なわけですね。ついでに、イギリス人が "not cricket" というときは、「フェアじゃない(卑怯だ)」という気持を表現するときなのだけれど、これはぼく自身の口癖でもあるらしいから、実に自分らしい個性的な名前じゃないかと、ひそかにほくそ笑んでいたりもするのだ。この名前には「卑怯なヤツ」というニュアンスがないこともないから、「悪いヤツ(bad bloke)」の代表たるBBとしては、かなり満足しているわけなのだ。

参考:YouTube のBB's Official Channel

☆ 先ほど気づいたのですが、イギリス首相官邸のチャンネルのデザインが、ぼくのにそっくりですね。それと、ポール・マッカートニーのチャンネルの名前が、なんだか似ています。

今日のビデオ:Chariots of Fire