☆☆ BB's Blog ☆☆ KV 2

ぼくの名前はBBです。「悪いヤツ」と呼ぶ人もいます。でも、犬には「いいヤツ」だと思われているかもしれません。これでいいのだ。バカボンのパパなのだ。ちなみに、バカボンもBBみたいですが、ぼくはバカボンとは別人です。

30 October 2007

議論がイッパイ


気がつけば、このブログを2週間も休業していた。書きたいことは山ほどあり、いろいろ頭の中で予定していたことはあったのだけれど。

ニッポンという国で生きていくからには、とにかくいろんなことを考えなくちゃ、もうどうしようもないわけで、人生が3つあっても足りないくらいだから、ぼくひとりの人生ではどうせ中途半端になってしまうのはわかっている。いや、人間のやることなんて、未来永劫、いつまでも中途半端なのだろう。そもそも「中途」などという言葉があるのは、終点だとか完成だとかの存在を信じているからにちがいない。しかし、人間は一体どこへ向かって進んでいるのか。それが問題だ。

ある種の日本人は、自分の正義や常識を振りかざし、まるですでに人間が完成しているかのようなことを言う。不思議なのは、そのような彼らに抵抗するBBのことを「オレサマ権威」だとかと決めつけるのも、たいていは彼らと同じ精神構造の日本人らしいということだ。

ぼくは人間の完成などというものを信じちゃいない。イエス・キリストは、「あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい」と言ったが、ここでいう「完全」とは、ある種の日本人に見られる完璧志向とは全く次元が違っているように思う。第一、その種の日本人は「天の父」(つまり創造主なる神)を信じちゃいないどころか、天皇だとか池田大作だとかを神のように崇めているようだから、地球人としては、どうがんばっても完全にはなれないのだ。彼らが日本人であることを変に意識して、がんばりすぎること自体が問題なわけだけれど。

とにかくニッポンには議論すべきことがイッパイありすぎる。太陽がイッパイでもちょっと困るような気がするのに、これじゃあのんびり湯につかってもいられない。どうしてこうなったのかと言えば、あの戦争の責任というものを曖昧にしてきたことが最大の原因のような気がする。久しぶりにブログに書き込みをしたというのに、きょうはイヌの話が全く出てこなかったけれど、ぼくにはイヌのテーマだって、ニッポンの曖昧な戦後と深く関係しているように思えるのだ。

アメリカは、天皇制をうまく利用しながら、間接的にニッポンを植民地化することに成功した。岸信介のような右翼が戦争責任を免除され、戦後も政界で活躍できたのは、バックにアメリカが貼り付いていたからだ。岸の孫の安倍晋三の時代まで、この国はずっとアメリカに支配されてきたと言ってもいい。イヌのテーマでも、ぼくがアメリカ式のドッグランに抵抗するのは、イヌまでもがアメリカ化してしまえば、ニッポンは未来永劫、本当の自由にたどり着かないと思うからだ。

今日のビデオ:Chaos and Creation at Abbey Road (5)

☆ きのうビデオをここにアップしたつもりだったのですが、なぜか失敗していたようです。やはり人間のやることってのは、パソコンのような機械に頼っても完璧ではないのでしょうね。仕方がないので、とりあえず、YouTubeのお世話になることにしました。あそこにつなぐと、時間帯によっては、なめらかに映らなかったり、著作権の関係で削除されたりすることもありますが。(2007年10月31日付記)

15 October 2007

ハリー・ポッターの話


ハリー・ポッターの本を初めて見たのは、六本木の青山ブックセンターだった。最初に英国で出版されたのが1997年7月になっているから、ぼくがその本を知ったのもちょうどその頃で、当時はまだニッポンではほとんど知られていない本だったと思う。その後、映画化されテレビでも放映されたらしいから、この国でもけっこう有名になったようだけど、原作を読んでいる子どもはそれほど多くはないような気がする。

ジョアン・ローリングのハリー・ポッター・シリーズは、今年の春までに64種類以上の言語で翻訳され、世界中で3億2500万冊以上も売れたという。1997年まで英国内でも全く無名だったローリングは、この10年のあいだに、史上最大のベストセラー作家となったわけだ。オー・ヘンリーの短篇に After Twenty Years(20年後)というのがあるが、その半分の10年でも人生はすごく変わってしまうことがあるらしい。

シリーズ最初の『ハリー・ポッターと賢者の石』がアメリカで出版されたのは、英国に遅れること14ヶ月、1998年の9月だった。実はその際、原書の英語がアメリカ語に翻訳されていたのだから、左ハンドルの英国車に乗ってる日本人にはビックリ仰天かもしれない。題名すらも英国版とはちがっていた。英国の原書では、Harry Potter and the Philosopher's Stone となっているのだが、philosopher という単語を「哲学者」と解釈する子どもたちが多いことを配慮して、それを sorcerer(魔法使い)という単語に替えてしまったのだ。

英国の子どもたちだって、今どき philosopher's stone の歴史的な意味を知っている子はそう多くはなかったはずだ。賢者の石とは、はるか昔、錬金術師たちが卑金属を貴金属に変える力があると信じていた石のことである。原作者ローリングが入浴中に考えるひと体勢になって思いついたのかどうかは知らないが、古いものが好きな英国人気質がそこはかとなく漂っている題名のように思う。

英国でも子どもたちのあいだに読書離れの傾向があったようだけれど、ハリー・ポッターの本によって読書の楽しさを知った子どもたちが非常に増えたらしい。ローリング自身は、この本の読者の年齢層を特別に限定していたつもりはなかったらしいが、出版社のほうで勝手に9歳から11歳の子ども向けの本として売り出したという。ところが、英国ではおとなたちの中にもこの本を夢中で読む人が増えたため、やがて表紙をおとな向けに変えたものまで出版するようになった。『不思議の国のアリス』、『指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)』、『ナルニア物語』というように、英国文学にはファンタジーの伝統があって、その伝統を支えているのは、子どもばかりではないようだ。

ぼくが青山ブックセンターで初めて見た『ハリー・ポッターと賢者の石』は、いちばん最初の英国版だったらしい。その表紙には、確かに philosopher's stone という英語が印刷されていた。ぼくはその表紙の絵がけっこう気に入ったのだけど、こんなのをガキっぽいとして受け入れないおとなが英国にも多いのだろうか。ぼくにはこれも出版社の考えすぎのような気がする。英国の商売もだいぶアメリカ化しているのだろうか。

きょうの写真は、一見プレーヤーのように見えるから、もしかして再生スイッチをクリックした人がいたかもしれない。これはハードディスクに保存してある映画「ハリー・ポッターと賢者の石」をスクリーンショットしたもので、なぜこんな場面を撮ったのかというと、店の前に止まっているスクーターと、左手に見える自転車が、どちらもぼく好みの古風なやつで、やっぱりロンドンだなあと、胸にジーンと来たからだ。

実は、ぼくも昔、ベスパに乗っていたのだ。この写真のような英国のモッズたちは、ぼくの青春時代にはすでに過去のものになっていたけれど、60年代の英国ポップスを聴いているうちに、気がつけばファッションのセンスもかなりあの時代の英国調になっていたのかもしれない。

ベスパ自体にひかれたのは、子どもの頃にテレビで「ローマの休日」を見たときが最初だったと思う。それから長い年月が過ぎたある日、三越劇場でその映画を観てから、本気でベスパを手に入れようと思った。ローマの休日のように二人乗りするのを夢見て、やがてぼくは自動二輪の免許を取ったのだけど、ベスパ自体は免許を取得する前に買ってしまっていた。初めの頃、そのベスパを大型バイクに乗っていた友人に運転してもらって、ぼくがオードリーのようにうしろの席に坐っていたのだから、「何かちがう...」という気分だった。

あれ? なんだかハリー・ポッターの話から別の話題に移りそうな気配になって来たから、ここで軌道修正すると... ポッター・シリーズを映画化したのは、「指輪物語」と同じくハリウッドだったわけで、監督はアメリカ人だし、脚本を書いたのもテキサス出身のアメリカ人だ。主要な役者をイギリス人で固めているのはいいけれど、ところどころでアメリカ式の英語をしゃべらせているのは、やっぱりアメリカ式なんだなあと思った。きょうの写真に小さく写っている大男ハグリッドを演じたロビー・コルトレーンは正真正銘のイギリス人だが、この映画の中で、schedule をアメリカ式に「スケジュール」と発音している。イギリス語では「シェジュール」と発音することになっているのに。

映画化されたハリー・ポッター・シリーズは、オリジナルのイギリス文化がアメリカ式に脚色されて、世界中に広まったようだ。映画の題名には、アメリカ版の本と同じく、philosopher's stone が消えていた。こうして英語さえもが地球規模でアメリカ化していくのが、グローバル化ということになるのだろうか。

今日のビデオ:Chaos and Creation at Abbey Road (4)
☆ このビデオの雰囲気は全体的にかなり英国的なんですが、ピアノはスタインウェイのようです。ビートルズ時代のように、ブリュートナーだったら、もっと良かったのにと思うのは、地球上でBBくらいなのでしょうか。

13 October 2007

失敗する権利


ピーター・バラカンが死刑に関して意見を述べていたとき、その最後のところで、英国の女性ソウルシンガーの Right To Be Wrong(失敗する権利)という歌のことを話していた。裁判の判決に失敗があっては困るのだけれど、子どもたちの失敗に対しておとなが余りにも神経質になると、子どもの成長が歪んでしまうように思う。ただし、失敗とは何かということが問題だ。ひとは不正を正義と信じ込む傾向があるから。

以前、中学生の男の子を学校まで追いかけた話をしたけれど、話の脈絡が理解できない人は、そんな行動をとるぼくのことを、ガキっぽいおとなだと思ったかもしれない。あの中学生は自分の正義を振りかざして、犬という弱者をいじめるようなことを続けていたのだ。そのまま放っておけば、人間の中でも最低な攻撃的イヌ嫌いという人種になるだろう。イヌばかりかヒトをも虐待するオトナになってしまうかもしれない。そうなる前に手を打つのが、おとなの責任じゃないだろうか。

あの日よりも2年以上前、初めてあの少年に赤ジャージ公園で出会ったとき、彼の学校の教師と話す機会も与えられた。その先生は、ぼくの話が理解できると言いながらも、イヌ嫌いの人の立場もわかると言っていた。あとで公園の子どもたちから聞いた話だと、あの少年は学校のホームルーム活動か何かでも、公園内で犬のリードを外すことをテーマに意見を述べていたらしい。

その教師はあの生徒のことを「非常に正義感の強い子なんです」と言っていた。きっとぼくのイヌ論を理解できると口では言いながら、あの少年の「正義」を問題にするどころか、その後も変わらず「正義感の強い子」と見ていたのだろう。もし教師がぼくの投げかけたテーマを、あの生徒にも理解できるような形で問題視していたら、それから2年以上ものあいだ、数人の仲間とぐるになって、ぼくと愛犬に対して嫌がらせを続けることはできなかったはずだ。

学校の教師の中には、生徒たちの人気こそが教師の勲章だと信じている人がいるらしい。正義に反することをキッパリとまちがいだと断言できる教師は、このニッポンの学校にどれほど存在するのだろうか。いや、それよりも何よりも、正義というものは一体なんなのか、ちっとも考えたことすらなく教師をやっている人間が多いような気がする。やはりニッポンという美しい国は、学校で子どもたちが教育勅語や靖国信仰なんてのを正義だと教えられていた時代と、今もたいして変わっていないのだろう。

犬のような社会的弱者にやさしくない社会では、強者におもねる正義がはびこるようだ。こういう社会では、弱者の失敗に対して世間は非常に厳しく、強者の失敗は大目に見られてしまうらしい。総理大臣だって、日本一の無責任男でもやれるわけだし、裁判官にしても、冤罪を見抜けないどころか、真実が明るみになってさえ、正義を行使できない人間がやっているじゃないか。

ニッポンの最高裁判所には、社会的弱者の権利を守るためには何もせずに、ただただ主権在民とは名ばかりの国家権力の立場に立って、弱者を平気でいじめる社会を応援する判事たちがいる。巨大な右翼組織の会長の椅子に、元最高裁長官が坐っているのは、この国ではそれほど珍しい現象にはならないらしい。

今日のビデオ:Right To Be Wrong
-- Joss Stone
I've got a right to be wrong
My mistakes will make me strong
Stepping out into the great unknown
I'm feeling wings though I've never flown

12 October 2007

警察のウソ


このニッポンという美しい国では、歴史教科書の中でさえ、権力にすり寄る御用学者によって平然とウソが通用するくらいだから、警察が強引にウソを捏造するのだって、朝メシ前のラジオ体操より簡単なのかもしれない。

また強姦冤罪事件があった。富山でタクシー運転手をしていた柳原浩さんは、民家に侵入し少女を強姦したとして有罪の判決を受け服役中だったが、別の事件で公判中の男が真犯人であることが明らかになり、先日10日の再審判決で無罪が確定した。柳原さんはすでに2年1ヶ月のあいだ刑務所に閉じ込められていたし、逮捕後に拘留されていた期間も含めると、2年9ヶ月間も自由を奪われていたのだ。

柳原さんは事件当時、父親と二人暮らしだった。母親はすでに亡くなっていて、警察は逮捕した柳原さんに母親の写真を見せ、「母さんにやってないと言えるのか、母さんが泣いてるぞ!」と言いながら自白を強要したという。そしてついに彼は罪を認めてしまったのだ。それを彼の弱さのせいにできる人がいるとすれば、その人はきっと、過労死を自己責任で済ませた奥谷礼子と同じ精神構造の人間なのだろう。本当の自由を知らない日本社会の中にあって、国家権力の密室の中で何が起きているか。これもやはりイマジネーションの問題になるのだろう。

柳原さんが刑務所に入っているあいだに、お父さんは病死してしまった。無罪判決を言い渡した裁判長は、「無実であるのに服役したことは誠にお気の毒です。お父さまのことを思うと言葉がありません」と言ったそうだが、柳原さんの本当の願い、つまり、このような冤罪が繰り返されてしまうニッポンの警察の実態を裁くべきだという願いは、ついに無視されたままに終わった。もちろん警察の背後には検察権力がある。検事の実態も重大なテーマになるだろう。

「同情するならカネをくれ」という子どもがいるらしいが、確かに同情なんてのは、たいして役に立たないものなのかもしれない。多くの場合、同情の言葉は、相手のためにあるのじゃなくて、自分の世間体のためにあるのだろう。しかし、その世間というのは、どれほどに正義が通る世界なのだろうか。

沖縄集団自決、従軍慰安婦、シベリヤ抑留などなど、歴史の問題には全く無関心のままに、ただ日々の余暇を麻雀やパチンコなどで遊んで過ごしている人々。自分の年金問題くらいなら関心があるのかもしれないが、他人の不幸の問題になれば、せいぜい同情の言葉だけで済ませてしまうような人々。そんな人間が多いのが、ずっと昔、教育勅語の時代から、このニッポンの世間だったのじゃないだろうか。

参考:富山冤罪事件

今日のビデオ:Chaos and Creation at Abbey Road (3)

11 October 2007

アビーロードで朝食を


子どもの頃に通っていた塾の先生が、授業中に、英国を旅したときの経験を話してくれたことがあって、「ロンドンの街を歩いてると、なるほどこんな街ならビートルズが生まれるだろうなと思った」と言ったのを思い出す。不思議なことに、あの先生から学んだことで、今も覚えているのは、これしかない。ついでに言っておくと、ぼくの手をさすった教師は、別の人だ。

たとえば、サザンオールスターズが録音しているビクタースタジオにしても、中はかなりシャレてるらしいけれど、散歩の途中に何度かその前を通っても、こんな場所じゃあオードリー・ヘップバーンには出逢えないなと思った。というのは、たった今おもいついたレトリックであって、ぼくは普段そんなことまで考えながら散歩しているわけじゃないはずだけど。

麻布の二之橋(にのはし)にあるスタジオなんてのは、ジャニーズ系の連中が利用しているらしく、時にビルの前で追っかけ少女たちの姿を見ることがあったけれど、あんなビルの中で本当にいい音楽が生まれるのだろうかと思ったものだ。それで思い出すのは、いつかこのブログで話したイギリス人ニック・ウッドのことだ。彼は六本木ヒルズについてこんなことを言っていた。
麻布十番も地下鉄が通ったり、六本木ヒルズができて変わってきたけど、人が集まって街が賑わうのは悪いことじゃない。ただヒルズの建設で、僕が好きだった小道や裏道が無くなっちゃったけど… それにヒルズへ行くと、なぜだかアメリカにいるような気分になるんだ。
その気分てのを、ぼくはよく理解できる。イギリス人というのは、ニューヨーク流の高層ビルをきらう傾向があると思う。

さて、そこでビートルズの話につながるわけだけれど、彼らが使っていたロンドンのアビーロード・スタジオは、きょうの写真を見てもわかるように、およそ六本木ヒルズのような「どーだ、どーだ、すげえだろー」系の建物とは全くちがう姿をしているのだ。駐車場に止まっている車にしても、ベントレーのような「ぼくたちお金持ちヘイヘイヘイ」系の車は見かけない。手前にちょこっと見えるのは、21世紀に復活した新ミニ・クーパーだ。そういえば、ビートルズの連中も元祖60年代のミニに乗っていた。

ビートルズが育ったのはロンドンではなくて、イングランド北部のリバプールだから、言葉も街の雰囲気もかなり違っているわけだけれど、やはりイギリス人には共通するセンスがあるように思う。それが彼らのコモンセンスになるのだろうが、ニッポンやアメリカの常識では理解できないことが多いのかもしれない。そういうイギリス人のセンスを、短い旅行のあいだに感じ取ったらしいあの先生は、なかなかいいセンスの持ち主だったのだと思う。

今日のビデオ:Chaos and Creation at Abbey Road (2)

7 October 2007

野性的であれば


どうやら湯冷めして体調を崩してしまったようだ。風呂場の椅子で考える人を演じたところまではよかった。寝室に入ると、忠犬BBCが、ぼくのベッドの上で横になっていた。ベッドのそばに置いてあるノートパソコンでメールチェックをしていたら、急に睡魔が襲って来たので、足は床に下ろしたまま、上半身だけベッドの上で寝かせた。その姿勢で1時間ほど熟睡したらしい。窓を開けていたので、夜風がたたったのだろう。その時からここ数日のあいだ激しい頭痛がつづいた。きょうの気分は、虹の彼方のお空のように、さわやかだ。いろんなことをしゃべってしまいそうだが、とりあえず、前回の話の続きをしようと思う。

木村治美の『黄昏のロンドンから』が出版されたのは、1976年になっている。当時のロンドンに住んでいた日本人の獣医が、英国の犬はイヌじゃないみたいなことを言ったのは、おそらく野良犬や放し飼いの犬が目立ったニッポンのイヌ事情を体験していたからだろう。東京の都心から野良犬の姿が消え始めたのは、1964年の東京オリンピックの直前頃かららしい。昔からニッポンには「イヌ殺し」の役人がいたようだが、世界に向かってニッポンの経済的繁栄を誇示するのが目的だった東京オリンピックだったから、首都トーキョーに野良犬などがうろついていてはカッコ悪いということだったようだ。

ぼくはいつも思う。野良犬の多くがもし地域の住民に虐待されていたら、人間不信の危険な犬が目立つ社会になっていただろうが、そうでなければ、むしろ昔のニッポンのほうが、今よりはよほど社会性のある犬が多かったのじゃないだろうか。野良犬の話はまた別の機会に考えてみる必要があるように思うのだけれど、飼い犬にしても、昔のように放し飼いにしていた時代のほうが、いつもリードにつながれている今の犬たちよりは、ずっと社会性ができていたにちがいない。ぼくはもちろん、犬の安全のためには、放し飼い(オフリードと放し飼いはまったく違う!)をすすめたりはしないけれど、現代のニッポンのイヌ事情を思うと、当時のほうがまだ希望がもてたような気がするのだ。

70年代のロンドンに住んでいたという日本人の獣医が、お行儀のいい英国の犬を評して、あんなのはイヌじゃないと言ったのは、きっと英国の犬が人間に飼いならされた人工的な動物に見えたからだろう。イヌはたとえ野性的に育ったとしても、本来、危険な動物ではないことは確かだ。しかし、現代のヒト社会にあって、野性的な犬を受け入れることのできる都市がどれほど存在するだろうか。ニッポンの今のイヌ事情を見てみればいい。公園の中でさえも犬を必ずつないでおけだとか、図書館の裏口にさえも犬を入れてはならぬだとか、こんなにも犬の生活する権利を無視しながら、犬たちを平気で差別する社会が出来上がってしまった。その結果、多くの飼い犬たちがおよそイヌとは思えない人工的な動物になっているじゃないか。まるでヒトみたいに。

今日のビデオ:Chaos and Creation at Abbey Road (1)
☆ 2005年、ポール・マッカートニーは、Chaos and Creation in the Backyard というアルバムを発表しました。それを記念して、その年の7月28日、アビーロード・スタジオ(道路を渡った正面に見える白い塀の建物)で小さなコンサートを開いたのです。ビートルズはデビュー当時からこのスタジオで録音していました。

1 October 2007

いろんな考えと文化


ニッポンに地震などの天災が多いのは、ダグラス・クープランドの言葉を借りれば、「神は日本を憎んでる(God hates Japan)」からなのだろうか。それはどうか分からないが、1980年代のバブル景気は、悪魔の贈り物であったように思う。

大地震の被災者のために設けられた避難所には犬が入れないという話を耳にして、これじゃ日本が神に憎まれても仕方がないなと思ったのは、ぼくがクリスチャンであるからというよりは、やはり英国系イヌバカ紳士だからなのだろうか。こんなニッポンではあるけれど、愛犬と一緒じゃなきゃわたしゃ絶対に避難しないとがんばった人もいたらしい。犬の飼い主の中にもこういう人が例外的になってしまうというこの国の現状は、本当にこのまま放っておいてもいいのだろうか。

さすがに動物愛護団体は、このような実態を改善しようと努力しているらしく、飼い主たちに向かって、ふだんから愛犬の社会性を教育することの大切さを強調し、避難所などでも他人に迷惑をかけないような犬に育てるべきだと言ってるらしい。それはもっともな話だけれど、社会性教育をきちんと受けた犬でさえも、ただ犬というだけで図書館の裏口や古本屋などから追い出されてしまうという現実こそ、大地震が来る前に、なんとかすべきじゃないだろうか。

木村治美という女性は、本当ならアメリカに住みたかったのに、夫の仕事の関係で英国に渡ることになって、そのときの体験からつづった『黄昏のロンドンから』という本で、売れるエッセイストの仲間入りをした人だ。ぼくが最初に読んだ本もそれだったが、もう1冊『イギリス交際考』というのも読んでいるはずだ。いやいやながらも英国で暮らし始めて、いろんな異文化体験をしたと思うけれど、このエッセイストの場合、もっともらしいことを書いているようでいて、どこかで日本文化がいちばんだと思っているような印象がある。

そこで思い出すのは、ロンドンのイヌ事情について書いた一文のことだ。今その本を探そうとしたけれど、そう簡単には見つかりそうになかったので、記憶を頼りに話せば、だいたいこんな話になる。

木村治美はイヌ嫌いだったらしくて、ロンドンの公園などを歩いていると、大きな犬がリードをしないで散歩しているのに出逢ったりするものだから、初めの頃は怖くてしょうがなかったという。しかし、見かける犬はどれもおとなしい犬ばかりで、全く危険な様子がない。そのことをロンドンに長く住んでいる日本人の獣医に話したら、英国の犬はイヌじゃないみたいなことを言われたそうだ。つまりその獣医に言わせれば、イヌという動物は、もっと野性的じゃないとダメだってな話になるらしい。それを聞いて、木村治美は、なるほど人にはいろんな意見があるものだと感心したのだとか。

人間にはいろいろな考えがある。そんなことは当たり前のことじゃないだろうか。そんな結論でイヌの話を終えることができるのなら、ニッポンの愛犬家グループだって何も問題がなくなるわけで、国粋系の日本人を相手に英国系イヌバカ紳士がイヌ論を語りながら、ニッポンの常識を批判する必要もなくなるのだ。それで済むなら、ぼくの日々は虹の彼方のお空のように夢がイッパイ、カバもオッパイだ。

さて、きょうの写真は、英国を襲った大洪水の際、救援隊に救助された犬を写したものだ。王立動物虐待防止協会(RSPCA)のサイトでも、このときの救助のことが記録されている。RSPCAに救助された動物は、犬や猫だけじゃなく、馬や牛、鶏や鳩までいたようだ。そして人間も救助されたらしい。動物を助けるついでにというわけでもなかったとは思うけれど。

今日のビデオ:Pat & Stanley II