☆☆ BB's Blog ☆☆ KV 2

ぼくの名前はBBです。「悪いヤツ」と呼ぶ人もいます。でも、犬には「いいヤツ」だと思われているかもしれません。これでいいのだ。バカボンのパパなのだ。ちなみに、バカボンもBBみたいですが、ぼくはバカボンとは別人です。

28 April 2007

名犬ラッシー


『フランダースの犬』のパトラッシュとともに,ラッシーは、日本で知らない人がいないくらい有名な犬にちがいない。原作者のエリック・ナイト(Eric Knight、1897 - 1943)は、英国ヨークシャー出身だったけれど,アメリカに移住し,ペンシルヴァニア州に農場をもっていた。その頃,コリー犬を育てていたらしく,彼が英国の故郷を舞台にラッシーを主人公として書いた小説 Lassie Come Home は,1943年に映画化されて一躍有名になった。きょうの写真に見えるのは、その映画で共演した主人公ラッシーとジョー少年だ。ジョーを演じたのは,イギリス人の俳優ロディ・マクドウォール (Roddy McDowall) で、彼はその25年後に「サルの惑星」でコーネリアス博士を演じたので,ヒトというよりはチンパンジーとして有名な俳優かもしれない。

原作のラッシーはこんな話だった。ヨークシャーに住む少年ジョーは,ラッシーを友としていたが,非常に貧しい家だったので,両親はラッシーを貴族に売ってしまう。その貴族は領地のあるスコットランドにラッシーを連れて行った。しかし、ラッシーはそこから逃げて,遠く離れたヨークシャーに住むジョーのもとに帰るのだった。

捨てられた犬が飼い主の家に帰って来るのは珍しいことじゃないようだ。かつて一度も歩いたことない道でも,どうして家までの道が分かるのか。動物行動学者でもまだ科学的に説明がつかないらしい。ぼくが読んだ英国の学者が言うには,今のところ「愛の力」としか説明できないとか。

犬の話ではいつも登場する例の地方都市だけれど,こんな思い出もある。愛犬BBCと一緒に散歩していたら,どこかからおばあさんが現れて,「まあ、お利口さんなコリーだこと!」と言ったのだ。ちなみに、ぼくのBBCは、そのときも今も,コリーじゃなくて,ゴールデン・レトリーバーなのだけど。

それはともかく、あのときBBCは、リードをしないで歩いていたのだ。ゴールデンとコリーの区別がつかないようなおばあさんでも、瞬間的に,名犬ラッシーを思い浮かべるくらいに、ぼくの犬を見て「ふつうと違う」と感じたのだと思う。あの地方都市では,公園内で大型犬を見ること自体が珍しかった。ましてリードをしていない大型犬など見たことのない人が多かったのだろう。最初の頃,公園で出会った子供たちが,リードをしていなくても落ち着いているぼくの犬を見て,「どうして逃げないの?」と不思議そうに質問するくらいだった。ぼくにはそのような質問こそ不思議だったけれど、「君はパパと公園に遊びに来て,パパから逃げたいと思うかい?」と逆に質問したら,その子は何かを理解し始めたように見えた。

パトラッシュもそうだと思うけど,ラッシーがリードでつながれているのを想像することができるだろうか。ヒトとイヌの2万年のつき合いの歴史の中で,イヌをリードでつないだままにして平気でいられる人間が増えたのは,ここ数十年のニッポンとアメリカくらいじゃないのだろうか。

ラッシーの生みの親エリック・ナイトは,第二次世界大戦中,アメリカ陸軍の少佐だった。1943年,彼は戦死した。46歳だった。ジョン・レノンと同じように,イギリス人はアメリカに住むと若くして死んでしまうのかもしれない。

今日のビデオ : Lassie Come Home

27 April 2007

怒れ、北海道!


きのうは北海道を例に挙げて,動物虐待を批判したわけだけれど,たまたまこれを読んだ人の中に北海道出身の人がいたら,どのように感じただろうか。ぼくの書いたことを正しく読解してもらえれば,何も特別に北海道の人間を狙って攻撃しているわけじゃなく,東京の人間も含めて,ニッポン人の常識というものを問題にしていることに気づいたはずだ。そのように読解できたとしても,まだ不愉快に感じる人がいたとすれば,きっとその人は動物虐待という問題を動物の立場に立って考えたことのない人なのだと思う。

闘犬で有名な高知の人の中にだって,ぼくと同じように闘犬を廃止してほしいと願っている人はたくさんいるはずだ。地元があんなもので有名だなんて見られると,恥ずかしいとさえ感じる人は少なくないのだと思う。それなのになぜ闘犬はなくならないのか。闘犬に反対だとしても、ただ自分の感情として残酷だと思っているにすぎない人がふつうで、この現実を改革しようと発言し行動する人が少ないからだろう。

1991年に東京ではこんな事件があった。都からある国立病院に実験動物として払い下げられた犬が動物愛護団体によって救出され,犬を使用する医学実験の残酷さを問題にした愛護団体は,東京都に対して実験施設への払い下げ廃止運動を始めた。これを受けた東京都動物保護管理審議会は、「実験用の払い下げは廃止すべきである」と結論し,翌年92年から、東京都では役所に保護された犬や猫の払い下げが禁止されることになったのだ。

その後この運動は全国に波及し,多くの自治体が同じように実験動物としての払い下げを禁止するようになった。2004年になっても実験動物の払い下げを受けていた大学は,旭川医科大学,鳥取大学,岡山大学,熊本大学だけになり、ぼくがいま入手している最新の情報によれば,現在も払い下げを行なっているのは,北海道内の一部の自治体だけになったようだ。

道産子諸君よ、このような現実を諸君は知っているのだろうか。この現実を諸君はどうするつもりか。医学の進歩のためには、飼い主から捨てられた犬まで苦しめても仕方ないと思うだろうか。それとも、北海道の未来をになう子供たちのためにも,哀れな動物たちを救うために立ち上がるだろうか。北海道を変えられるのは,道産子諸君,君たちしかいない。

今日のビデオ : The Boxer
-- Simon & Garfunkel

26 April 2007

動物虐待を許す常識


1948年7月20日、東京都では「闘犬・闘鶏・闘牛取締条例」という4条からなる条例が公布された。その始めの2条にこう書いてある。
第一条 犬、鶏、牛その他の動物を互に闘わせてはならない。

第二条 前条の闘いを見せる目的で公衆を集めてはならない。
ぼくは子供の頃,イヌの肉を食べる人間の存在を知らなかったように,闘犬などというものがニッポンで行なわれていることを全く知らなかった。ところが、たまたまテレビで闘犬の現場を見てしまい,その残虐性を知って,非常に腹が立ったのを覚えている。こんなものを許しているニッポンという国が,とても醜い国に思えた。大人というものが、大人らしくない生き物に見えてきた。

大人になって,北海道の友人から聞いた話だけれど、北海道でも闘犬を見せ物とするようなことがあるらしい。英国で闘犬が法律で禁止されたのは1835年だというのに、どうやら闘犬禁止という条例をもたない都市は,ニッポンでは現代でさえ、そんなに珍しくないようだ。友人がいうには,きっと本場の高知から全国を巡業しているのじゃないかという話だった。驚いたことに,闘犬の会場として,学校の敷地を利用することもあるらしい。

ぼくは北海道の小学校で,「子供たちの健康と安全のために,犬を学校の敷地内で散歩させないでください」と書いてあるのを見たことがある。あの学校の教師たちの考えでは,イヌは子供の健康に悪い動物であり,子供にとって危険な動物であるということになるらしい。よくこんなものを生徒たちの保護者が許しておくものだと驚いたのだけれど,その同じ都市の学校敷地内で,闘犬を見せ物とするようなことがあっても、それが子供の教育にとって何ら問題がないというのが常識として通るのだとすれば、もうどうしようもないわけで、やっぱりニッポンは醜い国であると確信するしかなくなるのだろうか。

「郷に入っては郷に従え」なんてことで人間の残虐行為までも許すようじゃ,ヒトこそが猛獣の代表になってしまうだろう。ニッポン人は余計な規則に従うのは得意でも,動物という弱者のための法律を作ってそれに従おうとする覚悟はないらしい。東京都には闘犬を禁止する条例があっても,それが日本人の常識として通用しないという現実があるから,東京の新大久保にあるコリアンタウンでは、イヌ肉料理まで扱う店が存在することにもなるのだと思う。

もちろんぼくがこんなことを言っても,イヌという動物を知らない人間には何も通じないことは充分に経験している。そんな人間でも,イヌが盲導犬としてヒトのために生涯を捧げていることくらいは知っているのだろうか。年を取って働けなくなった盲導犬を殺して,その肉を食べるような人がいたら,日本人はどう思うだろう。盲導犬は特別なイヌであるから,食肉にされるようなイヌとは全然ちがうとか、そんなことを考えている人がニッポンには多いのだろうか。

イヌはイヌという動物だから,盲導犬として,眼の不自由な人のパートナーにもなれるのだ。ヒトの食糧にされるようなイヌだって、ヒトに愛されれば、同じように,信頼できる友になれるのだ。こんなことさえ日本人の常識にならないのだとすれば,政治だって法律だって教育だって,ニッポンの現状はいつまでも先進国に追いつくことはできないだろう。

今日のビデオ : Oh Freedom
-- by Joan Baez (Live in Stockholm 1966)

25 April 2007

ジョンも好きな家

西武の堤邸がぼくの趣味とは全然ちがっていて,嫌悪感すら感じてしまうのはなぜだろう。堤義明は、バブル期にアメリカのフォーブス誌が世界第1位の大富豪として認めた人だったから,麻布の地であれだけの敷地を占有していても別に不思議じゃない。ただその建物から感じてしまう趣味の悪さは、なんとかならなかったのだろうか。

もちろん趣味には個人差のあることは分かっている。しかし、ぼくはあの家を見るたびに,召使いを見下す横柄な専制君主を想像してしまって不愉快な気分になったのだ。堤義明の会社には,彼をまるで専制君主として拝むかのような社風があったという。会社に客が訪ねてくると,女性秘書(下女?)にひざまずかせて挨拶させたとか。ぼくがそんなことを知るようになったのは,それほど昔のことではないけれど,それより以前から,あの家の前を通るたびに,不快な権力の悪臭を感じたものだ。

それに比べて,ロンドンのポール・マッカートニーの家なんかを見ると,暖炉のそばには大きな犬が家族の一員として幸福そうに寝ていて,ティータイムの用意をしてきた家政婦だって、ポールからまるで家族の一員のようにだいじにされているような、なんだかそんな様子が見えてくるような気分になって、思わずオナラ、じゃなくて、オナミダ、じゃなくて、アオキエミ、じゃなくて、ホホエミが浮かんでしまいそうになるのだ(きっこのブログにアクセス数では負けても,ジャナクテ教祖としては負けられない!)。

しかし、ポールがあの家をぼくにくれないなら,じゃなくて、ロンドンに住むなら、ぼくはアパートでいいと思っている。ロンドンの緑地面積は,30パーセントもあるのだ。東京の6パーセントと比べて,どれほど緑が多いことか。たとえば、ハイドパークひとつだけで、その広さは日比谷公園9個分になる。

やはり英国に住むなら田舎がいい。そこで、beldamさんのリクエストに応えて,英国らしい古い家を探してみたら,ちょうど良さそうなのが見つかった。場所はケント州だから,ロンドンにも近い。上の写真がその家だ。建てられたのは,1680年代というから、まさに築300年以上のものすごーく古い家になる。

敷地面積は、6エーカー(24,300平方メートル)となっているから、正方形にすれば,1辺が約156メートルの土地になる。東京の堤邸の敷地より少し広いだろうか。庭の境界には小川が流れているそうだ。農家として使える家みたいで,ちゃんと納屋もついている。この環境こそが正真正銘の英国の田舎だろう。

さて、気になるお値段ですけど,ロンドンに近いとはいっても田舎であるから,115万ポンド(約2億7300万円)だ。それでもやっぱりジャンボ宝くじの世界になってしまう。青江三奈なら,どんなオナラを発射したことだろう。広尾ガーデンヒルズに住んでいた宮沢りえなら、きっと「えっ、そんな値段で買えちゃうの?」とか言うだろうか。あのマンションは、バブル当時,1坪あたり1,000万円を超えていたそうだから,それをこの家の敷地面積に適用すると,730億円以上になってしまう。

ジョン・レノンは,イギリスに帰って,きっとこんな環境の家に住みたいと願っていたんだろうな。なぜニューヨークになんか住んだのだろう。ヨーコのためだったのだろうか。反戦活動のためだったのだろうか。アメリカという国は,ジョンにはあまりにも闘う敵が多すぎる国だったように思う。

参考:きょう紹介した物件の解説

今日のビデオ : You've Got To Hide Your Love Away
-- by The Beatles (John Lennon on vocals - London, 1965)

24 April 2007

家について考えた


4月21日に紹介した英国のアパートは,先ほど見てみたら,SOLD STC が消えていた。ということは、どうやら予定していた希望者が契約することはなかったようだ。ついでにしっかり解説を読んでみたら,"BUY TO LET" PURCHASERS ONLY! と書いてあった。前からそう書いてあったのだろうか。初めて気づいた。ともかくそういうことであるなら、このアパートを買うことのできる人は,自分が住むためにではなく,他人に貸す目的で買う人に限られるということになる。

上の写真に写っているのは,ポール・マッカートニーの家で、場所はロンドンだ。ロンドンでこれくらいの家になると,おそらく1千万ポンド(20数億円)はするだろう。ビックリ仰天でおならバッヒューンものだけど、マッカートニーの資産なら,1年分の利息だけで買えてしまったにちがいない。問題は金額じゃなくて,そのセンスだと思う。ぼくは東京の家の近所にあった西武の堤邸の前を通るたびに,たとえ世界でいちばんの大金持ちになったとしても,こんな家にだけは住みたくないと思ったものだ。ポールの家なら,もしぼくにタダでくれるというなら,もらってもいいと思う。

ジェーン・フォンダの家は、あれほどの大女優なのに非常に質素な家だと聞いたことがある。それでさっき少し気になったのだけど,ボブ・ディランはどんな家に住んでいるのだろうと思ったのだ。英語圏のネットで調べても,日本語圏のネットで調べても,まったく情報が得られなかった。アメリカではエルヴィス・プレスリーと比較しても引けを取らない超大物ミュージシャンだと思うけれど,ぼくの想像では,ジェーン・フォンダと同じように、成り金趣味ではない家に住んでいるのじゃないだろうか。

ジョン・レノンがニュー・ヨークで暮らしたアパートにしても,由緒のある高級アパートなのだろうけれど,成り金趣味とは違っていた。右に貼った写真がそのアパートだ。ちなみに、ホラー映画「ローズマリーの赤ちゃん(Rosemary's Baby)」は、このアパートが舞台になっていた。さらについでに、プレスリーは42歳という若さで亡くなっているが,当時,からだがぶくぶくに太っていたそうだ。ドーナツを食べ過ぎたからだとか,そんなウワサを耳にしたことがある。

ジョン・レノン,ボブ・ディラン,ジェーン・フォンダに共通するのは,みな反戦活動家であることだ。そして、年を取ってもみなスリムな体型をしている。ディランとジェーンはキリスト教徒になったけれど,ジョンは信仰告白をしなかったようだ。銃社会のアメリカなどで暮らさないで,彼が憧れていたイギリスの田舎に住んでいれば,晩年にはジョンもキリスト教徒になっていたかもしれない。そう思うのはぼくの夢にすぎないだろうか。

再び今日のビデオ : Give Peace A Chance
-- by John Lennon
All we are saying is give peace a chance

ボブ・ディラン再び

きのうの投稿を発表したあとで,また思い出したことがあった。あの高校生がうちに遊びに来たとき,何かレコードをかけようと思って,ボブ・ディランのLPを見せたら,彼は「ゲッ!」ってな感じで嫌悪感を表したのだ。あの頃はまだ風呂場で「考える人」に変身するワザを身につけていなかったから,あまり深くは考えなかったのだけれど,今にして思うと,彼はアメリカのタカ派上流階級出身だったのかもしれない。つまり日本流に言えば,安倍晋三などの家系と同類の右翼ということになるのじゃないだろうか。

彼の容姿は,いかにもアングロ・サクソンを感じさせる上流階級ふうに見えた。背丈こそぼくより低かったと思うけれど,すらっとしていて、顔は非常に美形であった。テニスのあとに一緒に喫茶店などに入ると,一瞬,周囲の客の視線が一斉に彼に向かって集まるような気配を感じたほどだ。

アメリカのタカ派上流階級は,ボブ・ディランやジョン・レノンのような反戦ミュージシャンを好きなはずがない。だいたい彼らは日々何も考えずに暮らしているらしいけれど、彼らの財産を守るうえで邪魔になるような存在に対しては,嫌悪感を覚えずにはいられないのだろう。ふつう高校生にもなれば,親とは独立して,自分自身の哲学をもち始めるものだけれど,ある種の家庭は,その可能性をつぶしてしまうのかもしれない。

彼のテニスの腕前は、なかなかのものだった。それにぼくの冗談もけっこう通じたみたいで,よく笑っていた。きっとBadBlokeほどには悪いヤツではなかったと思うけれど,やっぱり今の彼はブッシュなんかを支持していそうな気がする。こうなったら、もう一度ボブ・ディランに登場してもらうしかない。

今日のビデオ : Don't Think Twice, It's All Right
-- Bob Dylan with Eric Clapton (Live in New York, 1999)

23 April 2007

時代遅れの話


若い頃の思い出にこんなのがある。アメリカからニッポンに留学していた高校生と知り合って,時々,テニスの相手をしていた。ある日のこと、コートにトンボが飛んで来て,それに気づいた彼は,ラケットでそのトンボをたたき殺そうとしたのだ。それを見たぼくはもちろん驚いた。そして,彼がアメリカの高校生の代表だとしたら,アメリカ人てのはなんて野蛮な人種なのかと思った。

アメリカ人の故郷ヨーロッパでは,どうやらトンボはあまり印象の良い昆虫ではないらしい。英語ではトンボのことを devil's needle(悪魔の針)と呼ぶことがあるし,フランス語にも同じような意味で,l'aiguille du diable というのがあり、ドイツ語にも,Teufelsnadel とある。つまり西洋人には,トンボは悪魔を連想させてしまうようだ。

こんな話を聞いたことがある。アメリカ人の母親は,子供がウソをついたりすると,悪魔の針(つまりトンボ)が飛んで来て,子供の唇を縫いつけてしまうと言っておどすらしい。日本人の母親には,子供をおどすときに,「お巡りさんに叱られるわよ」と言う人がいるとか。なんだかお国柄がにじみ出ているような気がするけど、どこの国でも親ってのは子供以上に迷惑な存在なのかもしれない。

あの高校生の思い出にはこんなのもある。ある日,彼がぼくの家に遊びに来たのだけど,そのとき缶詰を缶切りで切ろうとしたら,その缶切りを見た彼がいきなり笑い出し,何を言うかと思ったら,primitive だと言うのだ。つまり、原始的な缶切りだと思って笑ったのだった。彼が言うには,今どきアメリカではそんな時代遅れなものは使わないのだとか。

トンボを悪魔の針だと信じてテニスラケットで殺すのと、原始的な缶切りで苦労しながら缶詰をあけるのと,どちらが人間として野蛮であろうか。ボブ・ディランならなんと答えるだろう。まさか風に吹かれて答えられないということはないと思うけど。

今日のビデオ : With God On Our Side
-- by Bob Dylan (on BBC TV, 1964)

☆ たぶんビートルズの連中もこの番組を見ていたと思います。この頃,ジョン・レノンは明らかにボブ・ディランの影響を受けたような曲を作っていました。この歌は,アメリカの血なまぐさい戦争の歴史を、先住民への迫害も含めて、痛烈に批判しているのです。アメリカ人はクリスチャンとしてなぜこんなにも人を殺して来たのかと。このBBCの番組では最後の節まで歌っていませんが,ディランは歌詞の最後にこう書いていました。
If God's on our side
He'll stop the next war

もし神が僕らの味方なら
次の戦争を止めるだろう

22 April 2007

ペット可?


前回紹介したイギリスのアパートの解説には、ペットのことは何も書いてない。ということは、犬と暮らせるのは当然ということになる。だいたい英国では、犬をペットとは見ない。犬は家族の一員なのだ。そういえばフランスでは「1970年7月9日法」という名前の法律の中で、住宅(集合住宅も含む)の契約に関連して、ペット飼育を禁止する規約を結ぶことを禁止している。つまりフランスでは,大家がペット不可なんてことを主張できなくなったわけだ。さすがにフランス革命の国だけはある。

それで思い出した。むかしBBCのディスカッション・グループで知り合ったパリに住むイギリス人がぼくに言ったことだけど,パリでは犬は人間とほぼ同じ権利を持つんだとか。もし東京に住むのがいやになったらパリに来ればいいとか。そんなことを言ったものだった。たしか彼はぼくにこんなことも教えてくれた。別れた奥さんがジョージ・オーウェルと血がつながっているとか。ぼくは他人のプライベートな話には積極的になれないから、それ以上のことを知ることはできなかったけれど,実はオーウェルには非常に関心があったので、質問してみたいことはオッパイ,じゃなくて、イッパイあったのだけど。

それはともかく、アパートの値段が22万ポンドといえば、英国ではそんなに安い方じゃないけれど,小泉政権末期から今の安倍政権にかけてどんどん円安になったため,ついに今の為替レートでは5,240万円にもなってしまったのだ。円安になる前だったら,4,200万円ほどで買えた物件だったのに。

あの物件はロンドンに近いからアパートでもわりと高い価格になっているのだろう。もっと田舎になれば,ずっと安くなる。東京で知り合ったイギリス人がすすめてくれたコーンウォル(Cornwall)という地方で探せば,もっと安い値段で一戸建ての家が買えるようだ。たとえば右の物件ならば、182,950ポンドだから,およそ4,350万円だ。円安になる前なら、3,500万円で買えた。このコーンウォルというのはイングランド南西部の地方で,地図で見ると海に囲まれた半島のような形をしている。写真の家もすぐ近くに海が見えるようだ。村全体が公園のような場所だと思うから,庭なんて必要ないように思うけれど,一応,庭とガーデンルームもついているという。

解説の写真を見ると,この家には暖炉もあるから典型的なイギリスの家になるけれど、現代の英国ではどの家もセントラルヒーティングが普通だと思うので,この家も暖炉を使用していないようだ。でも小坂明子ふうの女の子なら,この家の方がきのうのアパートよりは気に入ってくれるだろうか。

参考:
(1)きょう紹介した物件の解説

(2)コーンウォルの浜辺(パノラマ写真)


今日のビデオ : Chelsea Morning
-- by Joni Mitchell (Live on BBC TV, 1970)

21 April 2007

英国住宅事情


大げさな題名にしてしまったけれど、たいした話はできそうにない。英国に永住するとすれば,どんな場所に住もうかなとか、いろいろ風呂場で考えてみたら、それだけでけっこう幸せな気分になったのである。

きょうの写真は、ロンドンから電車で1時間ばかりのところにあるタンブリッジ・ウェルズ(Royal Tunbridge Wells)という町の中心部らしい。英国に住むなら田舎に住みたいけれど,やはりロンドンから遠すぎると困るような気がする。この町は人口が45,000人ほどで、緑も多く、バースとともに英国では温泉町として知られている。とにかくロンドンから遠くはないし,ぼくの友人の住む屋敷にもけっこう近い。こんな町なら永住してもいいかもしれない。

そこで不動産屋を調べてみたら、ちょうど良さそうなアパートが見つかった。右に貼ったのがその写真。SOLD STC と書いてあるのは,ここを買いたいという人がすでにいるのだけれど,まだ書類上の契約が完了していないので希望は捨てないほうがいいかも、という意味だ。売りに出したのは,この1階部分で、けっこう広い裏庭もある。気になるお値段ですけど、22万ポンド(約5,240万円)ということらしい。解説を見た感じでは,広尾ガーデンヒルズよりはよほど快適に住めそうに思えた。

英国では,不動産の価格が高騰しないように,はるか昔に何か対策を講じていたらしい。それがどんな対策だったのかはよく知らないけれど、道路に電柱を立てずに地下に電線を通していたというのもそうだが、町づくり関連におけるイギリス人のセンスは,なかなか優秀だと思う。

参考:英語ですが,写真を見るだけでも楽しいでしょうか。

1)上で紹介した物件の解説

2)タンブリッジ・ウェルズの解説
☆ この町の正式名には頭に Royal がついていて、なんだか王室と関係してるようで偉そうな名前です。ここの解説の中では,人口が63,000人となっているようですが、もっと多い数字を出しているサイトもあったりして,正確なところどれが正しいのかは不明です。

今日の音楽 : あなた
-- by 小坂明子

19 April 2007

エリートについて


ニッポンでは,エリートにふさわしくない人間がエリートの身分を得ている。総理大臣や首都トーキョーの知事を見ても明らかだけれど、最高裁判所のように庶民には無関係のように見える場所にも、エリートとして失格としか言えない人物が判事などをやっていたりするし,学校の校長のように本来なら庶民の眼が届くはずの人間にも,同じようにエリートらしからぬ人間が少なくないようだ。

東京大学の学生の多くは富裕階層の出身らしい。彼らが大学を卒業して、たとえば財務省などに就職すればキャリアとしてのエリートコースを進むわけだけれど,問題は、彼らは本当にエリートにふさわしい教育を受けてきたのかということだ。頭の中だけがいくらエリートらしくなっていても,エリートにはもっとだいじな何かが必要じゃないだろうか。子供の頃に進学塾に通って受験の準備をすることよりも,もっとだいじな教育が必要だったのじゃないだろうか。

ニッポンのエリートの中に人間としてくだらないのが目立つからといって,政治を無能な人間に任せてよいということにはならないだろう。やはり政治のようなものは,エリート(もちろん日本的な意味ではなく)がやるべきことだと思う。問題は,そのエリートを育てられないニッポンの社会構造を改革すべきだということになるだろうし,政治でいうなら,政党政治がしっかりしていないということが重大な問題になるのだろう。

新約聖書を見ると,初代教会のクリスチャンたちは,まるで共産主義的な生活をしていたことが分かる。
「信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。」(「使徒の働き」4章32節)
キリスト者のように同じ信仰を共有できる人々の群れであるなら,共産主義は可能なのかもしれない。しかし、歴史を見れば明らかなように,クリスチャンといえども,聖書に反するような組織を作ってきたのが現実である。いくらマルクスの理想が正しかったとしても,現実の人間社会で共産主義は人間を幸福にできるだろうか。もちろん反共主義こそはもっと人間の幸福に遠い信条になるだろうけれど。

人間個人の自由を尊重する社会である限り,どうしても社会的身分の格差が生じてしまう。英国とは違って,米国やニッポンの階級社会は,本来,生まれながらの身分には関係しないはずではなかったか。それが今,金持ち階級という身分によって,エリートの身分が世襲されているかに見える。彼らエリートが確かにエリートにふさわしいのであれば、それでいいのかもしれない。なぜなら、本当に人間としてエリートであれば,社会的弱者のためにベストを尽くすはずだから。しかし、現実はそうじゃないから、ニッポンはこんなにも情けない国になっているのだ。この現実をどう改革すべきか?

今日のビデオ : 英国イートン校

☆ イートン校(Eton College)は、英国を代表するエリート校です。校名にコレッジとありますが、ここで学んでいる生徒は13歳から18歳までの男子で,この学校を卒業してからオックスフォードとかケンブリッジの大学に進学するのです。1440年、国王ヘンリー6世が、貧しい70人の生徒たちを教育するために創設した学校で,現在,寮費を含めて年間24,990ポンド(約590万円)を必要としますが、伝統的に奨学金制度が発達していて,学業優秀であれば貧しい家庭出身でも入学可能であり、必要であれば制服代までもが支給されています。

18 April 2007

卑怯なヤツら


また長崎市長が銃撃された。17年前の1990年1月18日、当時の長崎市長は,右翼団体「正氣塾(せいきじゅく)」の人間に背後から鉄砲で撃たれた。今回の犯人は山口組系の暴力団員ということになっているけれど、ある種の右翼は暴力団と区別がつかない。ニッポンの右派政治屋どもが暴力団と仲がいいのは,今や世界の常識だ。

右翼も暴力団も共通して卑怯なことが得意らしい。鉄砲などという武器を発明してから,ヒトはいよいよ卑怯な動物になってしまった。その成れの果てが大日本帝国だ。ヤツらは腐った権力に抵抗する人民を法律の名の下に殺した。これほどに卑怯なことがこの世に存在するだろうか。これほどに残酷なことがあるだろうか。

東京の中国大使館前には頻繁に右翼の街宣車が現れ,大声でわめき,静かな住宅街の平和を乱している。警官はほとんど何もしない。住民もほとんど何もしない。そんな社会にあきれ果てた若い頃のぼくは、右翼の街宣車(装甲車とぼくは呼んでいた)に向かって「うるせえぞ!」と怒鳴った。

「和をもって貴しとなす」なんてことを誇ったり,なんだか神経質に他人に配慮しているようなことを言う良識人ふうの人間が目立つこのニッポンなのに,なぜ右翼のわがままを許しているのか。なぜ卑怯なヤツらにプロテストしないのか。ヤツらは人民を弱い者だと信じているから,あんなに威張っていられるのだ。

人民は本当に弱いのか。この国の税収の多くは,六本木ヒルズに住むような成り金たちからじゃなく,普通の人民たちから集められた税金じゃないのか。憲法では,その人民こそがニッポンの主権者だと言っているじゃないか。

右翼が首相になれる国。右翼崩れが首都の知事になれる国。右翼かぶれが最高裁長官になれる国。ああ、こんな情けない国にしたのは誰だろう。

今日のビデオ : What A Wonderful World
-- by Louis Armstrong
I see trees of green,
red roses too
I see them bloom for me and you
And I think to myself,
What a wonderful world

I see skies of blue
and clouds of white
The bright blessed day,
the dark sacred night
And I think to myself,
What a wonderful world

The colours of the rainbow,
so pretty in the sky
Are also on the faces
of people going by
I see friends shaking hands, saying
"How do you do?"
They're really saying
"I love you"

I hear babies crying,
I watch them grow
They'll learn much more
than I'll ever know
And I think to myself,
What a wonderful world
Yes, I think to myself,
What a wonderful world

16 April 2007

犬の差別を考えた(3)


これもやはりまた例の地方都市での経験になる。散歩の途中,コンビニに寄ったのだけれど,いつものとおり愛犬のBBCを外に待たせておいた。買い物が終わって店の外で休んでいたら,店長らしき中年の女性が出てきて,「犬をどこかにつないでください」と言った。その店は何度か利用していたのだけれど、店長がイヌ嫌いらしいことには気づいていた。店の中から不愉快そうな眼でこちらを見ていることがあったから。

東京からその都市へ越してきた直後,BBCと一緒に公園に入ると,小さな子供を連れてきていた若い母親たちの中に、群れをなしてこちらを迷惑そうに見ている女性たちがいた。こんなことは初めて経験することだったから,最初はぼくがあまりにも日本人離れしていてカッコ良すぎるから,脳みそのどこかが狂ってしまったんじゃないかとさえ思ったほどだ。まだ言葉も話せない小さな子供をぼくの犬と遊ばせようと近づいてきた母親はたったひとりしかいなかった。

そんな雰囲気の都市だったから,コンビニの外でただ静かにおすわりをして休んでいるだけの犬のことで,わざわざ店長が出てきてあんなふうに言うってのも、そんなに珍しいことじゃなかったのかもしれない。しかし、もちろんぼくはそんな苦情を受け入れるわけにはいかなかったから,こう言った。
「あなたの言ってることは犬への差別です」
すると店長は、
「私は犬が嫌いなんです。だから同じような人の気持がわかるんです」
と言ったのだ。
「そんなことは前から知っていましたよ。あなたの眼がそう語っていたから。しかし、あなたのような人は珍しい。別にイヌ嫌いでもかまわない。ただあなたの言ってるようなことは世界には通用しない」
そうぼくが言うと,よほど気が強いというか,救いがたいイヌ嫌いというか、店長はこう言った。
「ここは日本ですよ。世界の常識は知りませんが,日本の常識で言ってるんです」
なるほど。いつものパターンだ。この種の人間は,ぼくが東京出身だと知ると,ここは北海道だとか言って反抗する。
「ここは地球です。この地面は地球です」
ぼくは店長の立っている地面を指さしてそう言った。

きょうの写真は,その同じ都市で知ったラーメン屋の前で撮った写真だ。その店でラーメンを食べると店長が必ずぼくの愛犬のためにと言ってチャーシューを数枚くれるのだった。このように犬を愛する人の方がニッポンにだって多い。ぼくはいつも少数派の権利をだいじにしたいとは思っているけれど,イヌ嫌いのわがままを許すわけにはいかない。そのことでイヌという動物がこの国でどれほど不幸になっていることか。
「あなたのような日本人が、この国の動物虐待を許しているんだ」
あのコンビニの店長に,ぼくはそう言った。おそらく自分では気づいていないのだろう。それに、動物虐待のことなんて考えたこともなく、実験動物を苦しめながら生産されている化粧品を顔に塗って,美しくなったつもりでいるにちがいない。

今日のスライドショー : 9.11で活躍した救助犬たち

15 April 2007

犬の差別を考えた(2)


前回の写真の中で,ぼくのBBCがコートを着ていてブーツまで履いているけれど,あそこは東京ではなく,とっても寒い雪国のスーパーの前で撮った写真だからだ。東京では冬でもコートを着る必要はなかったし,もちろんブーツもいらなかった。この話はいつかしたような気がするけれど,犬の足の裏に雪が入って,それが凍って氷になると,すごく痛いらしい。BBCは医者にぶっとい注射をうたれても,まったく平気な顔をするのだけれど,その彼でさえ立ち止まって「痛いよお」と言ったくらいだから。

あの街でこんな女性に出会ったことがある。店の玄関内のベンチで休んでいたときだったけれど,ぼくのそばにすわって何を言うかと思ったら,「ブーツなんか履かせてかわいそう」なんて言うのだ。初対面の人からいきなりこんなことを言われること自体が,ぼくには衝撃的であったけれど,小さい頃から何があっても「うろたえるな」というふうに育っていたので,そのときも顔の表情は平然としていたはずだけど,心の中ではビックリ仰天の仰向け状態だったのだ。

どうもニッポン人の中には動物が好きとは言っても,あの女性のように自分の主観で、かわいそうだとか何だとか、勝手に決めつけている人が目立つような気がする。それに、犬にコートなんて着せてるだけで,動物を人間扱いしていると非難する人までいるようだ。ぼくだって、ある種の変な飼い主たち,たとえば愛犬の足がよごれるから毎日タクシーに乗せて散歩(?)するだとか、愛犬のドレス代とかに1億円も費やしているだとか、そんなノータリンな飼い主を見ると,オナラでぶっ飛ばしてしまいたくなる。だけど、自分の満足のためにではなく、愛犬の幸福のために必要なものを着せたり履かせたりしていることだってあるのだ。

よく「マナー」という言葉を使う人がいるようだけれど,マナーの基本は,他人に余計なおせっかいをしないことだと、ぼくは考えている。よく知りもしない他人(日々出会う人の多く)に関して,何か評価したり決めつけたりするようなことは決してしないというのが、ぼくのマナーの基本になっていると思う。タバコを吸うべきでない場所で平然と吸ってる人などに出会えば,それなりに注意しなければならないのは当然だけれど。

「犬の差別を考えた」と題しながら,たいして考えなかったようだけれど,いま話したようなことも、ニッポン人の差別とまったく関係がないわけじゃないように思う。

午後のビデオ : When You Say Nothing At All
-- by Alison Krauss
The smile on your face lets me know
that you need me
There’s a truth in your eyes saying
you’ll never leave me
The touch of your hand says
you’ll catch me if ever I fall
You say it best when you say nothing at all

犬の差別を考えた(1)

イヌと見たら,どんな犬でもリードにつなぐべきだと考える人は,おそらく、家の外に鎖でつながれたままの犬を見ても,狭いおりの中に閉じ込められた犬を見ても,それが動物虐待になるとは思わないのだろう。どうやら日本人の多くは子供の頃からそのような感覚のまま大人になるらしい。

ぼくの愛犬BBCは、まだ生まれて5ヶ月くらいの子犬の頃から,スーパーで買い物をしているあいだにも,ひとりで外に待つことができるように何度も練習したものだ。それより以前,完成したばかりの恵比寿ガーデンプレイス内で,リード無しでもじっと待てるような練習を繰り返していた。最初はもちろんじっとはしていなかった。ぼくの姿が少しでも見えなくなると,必ず動き始めて捜すのだった。それでも何度も同じことを繰り返し,たった数秒でもじっとしていられたら,パパは人生でこんなに嬉しいことは初めてだと言わんばかりに、彼を抱きしめて大喜びしたものだ。もちろんそれは演技だったのだけれど,犬は人の心を読めるので,演技とはいっても,気持としては本気で喜んでいたつもりだった。

大昔には英国でも体罰式で犬を訓練していた時代があったらしいけれど,犬は信頼する人に喜んでもらえることをしたいと願う動物であることが常識として認められるようになると,今ぼくが話したように、ほめまくり方式で教育するのが普通になったのだ。体罰なんかで脅すように訓練すると,表面的には人間の権力に従うようになっても,決して本来の信頼関係は生まれないだろう。それに、イヌのように高等でデリケートな脳をもつ動物は,体罰によってどれほど心が傷つくことか。そのことで情緒不安定になり,人間に対する過剰な恐怖心によって凶暴な行動を起こす場合もあるかもしれない。

先ほど言ったスーパーでの練習は,主として広尾の明治屋で行なった。明治屋が入っているビルは,中にも犬が入れるのだけれど,始めは外の入り口前で待つ練習をした。ガーデンプレイスでの練習の成果があったのか,わりと短期間でひとりで待てるようになった。そこで自動車教習で言うなら,仮免許の練習を始めたのだ。場所は麻布十番のセイフーというスーパーを選んだ。入り口のすぐ前でBBCのリードを外してひとりで待たせ,ぼくは店内に入った。15分くらいしてからだったろうか、店内放送があって,「ワンちゃんが迷子になっています」というようなことを言っていた。まさかBBCのことではないだろうと思ったのだけど,確認のために一階に下りてみると、吾が愛犬が果物コーナー辺りにまで入って来ていて,ぼくを捜しているようだった。

もちろんそれを見たぼくはビックリ仰天の仰向け状態になるところだった。でも吾が愛犬はぼくの姿を発見すると,ホッと安心したように笑顔で近づいて来たし,周りの買い物客たちも、なんだか嬉しそうに微笑んでいたものだから,とにかく何事もなかったかのように店の外に出た。そして、そこでBBCに向かってこう言ったのだ。「パパはお前を信頼していたのに,こんなことじゃガックリだよ。いつもパパは必ず戻って来るのを知ってるだろ?」

仮免許期間の失敗はあれ一度きりだった。その後,きょうまでの10年間,彼はどれほど多くの場所でひとりきりで待っていたことか。いつも淋しい思いはしてるのだろうけれど,決してその場から動くことはなかった。

今日の音楽 : Mr. Lonely

14 April 2007

確かな野党

無党派層というのは,政党が必要ないと思っているわけじゃないと思う。少なくとも無党派層の中のバカでない人たちなら,きっと心から支持できる政党を求めているにちがいない。現実にはそれが存在しないから,彼らは無党派になっているにすぎないのだと思う。

以前,このブログで東京の港区議会の話をしたことがあった。議員名簿を見ると,自民党が10名で,次に多いのが共産党と公明党でともに6名ずつ。民主党系の民主クラブはその半分の3名しかいない。このことは何を意味するだろうか。ニッポンの一般的な議会と比べてこんなに共産党が支持されているというのは,港区の有権者の中には,確かな政党政治に期待する人が多いのだと思う。民主党が支持されないのは,ほとんど自民党と区別がつかなくて,政党としてハッキリしないからじゃないだろうか。

ニッポンの地方都市で暮らした経験から,地方は東京の港区に比較して,民主主義が育っていない印象があった(もちろん港区だってたいしたことないけれど)。しかし、ここ数年の選挙の動向を見ると,今やニッポン全体が,既存の野党とはちがう意味で,反自民・反公明の立場に立つ確かな政党を期待しているように思える。だからといって、また一から政党を立ち上げると,弱々しい政党がまたひとつ増えるだけだろう。いま存在する共産党、社民党,民主党などに所属する党員たちが,反自公に立つ力強いひとつの政党として団結することを期待してやまない。

今日の音楽 : Born To Lose
-- by Ray Charles

12 April 2007

先進国とは


前から気になっていたのだけれど,無所属なんて名乗りながら,実は自民党右派そのものだったりするような政治家がいるような気がする。特に知事で当選するのは無所属と決まっているみたいにも見える。なんだか変だなと思う。

政党政治がもっとちゃんと形を見せてくれなきゃ,この国の民主主義は育たないのじゃないだろうか。なんだかハッキリしないことが美徳であるかのように勘違いする人間が増えているのも,ニッポンの民主主義の質の低さを示しているように思う。

「石原裕次郎の兄」というのを肩書きのようにしたり,テレビ朝日開局何十周年記念だかのドラマに登場したりしただとか、なんだか芸能人の人気投票みたいな感覚で首都の知事が決まってしまうのも,この国に確かな政党政治が存在していないせいじゃないだろうか。

英国の二大政党制は,米国のそれとは違って,イデオロギーのかなり異なる保守党と労働党によって成り立っている。しかし、両者には絶対に揺るがない共通するものもあるのだ。それは民主主義と呼んでもいいし,近代法の精神と呼んでもいいかもしれない。もちろん動物愛護精神とかも共通しているにちがいない。やはり右翼がなんと言おうが,英国は先進国なのだと思う。

今日の音楽 : Cold, Cold Heart
-- by Hank Williams

☆ ハンク・ウィリアムスがこの曲を発表したのは,1951年ですが,そのときのシングル盤ではB面になっていたのです。ところが、その後,この曲は多くの歌手によって歌われることになり,彼の作曲した歌の中でも格別に有名な1曲となったのでした。

11 April 2007

日本人の差別


ニッポンという国では,犬の基本的人権が認められていない。特に大型犬に対しては,差別というしかないことが、まるで常識のように通っている。そこで、いつかぼくは愛犬家グループかどこかで言ったことがあるのだけれど,黒人というだけで白人と同じ客車には乗れなかった過去をもつ人間社会,そして現代でも,黒人を見ただけで犯罪者のように思うような人がいる人間社会。それと同じようなことを,ニッポンでは犬に対して平然と行なっている。そんなことを言ったのだけど,驚いたのは,ぼくのその発言を非難してこう言った人が現れたからだ。「そのような発言は黒人を侮辱している」と。

なるほど、これがニッポン型愛犬家の感覚なのか。ぼくはそう思ってあきれてしまった。ぼくには子供の頃から人種差別などというものは全くなかった。それどころか、そのような差別を非常に憎んでいた。たとえば、ある日のこと、バカチョンという言葉が朝鮮人への差別だと知って,だれか大人に指示されたわけでもなく、自主的に使わなくなった。当時は普通に「バカチョンカメラ」という言葉が使われていた時代だった。

そこで犬の話に戻れば,ぼくは愛犬と自分を比べたとき,どう考えても彼の方がぼくよりも人を幸福にできる存在のように思えてくる。つまり、彼の方がよほどぼくよりは尊い存在に思えるのだ。だから、ぼくはイヌという動物を見下すことはできない。イヌへの差別を黒人のそれと比べたときに,ぼくの中には,頭のてっぺんからお尻を経由して足の先まで,どこを探しても,黒人蔑視の精神を発見することはできないだろう。

いやはや、ニッポン人との議論は,どこでもあそこでも、とっても疲れてしまう。やはりぼくはニッポン人の常識にはついていけない。そろそろ英国永住を考えてみようかな。その方が愛犬も幸福だろうし。

今日のビデオ : Stupid Cupid
-- by Connie Francis & her Friends

Stupid Cupid の歌詞

10 April 2007

心に残る数学者

きょうの絵は,もちろんぼくの肖像画ではない。フランス復古王政期に生きた数学者ガロア(Évariste Galois, 1811 - 1832)を描いたものだ。彼は二十歳のときに,決闘で死んだことになっている。それでも数学史に輝く理論を残したのだから,ぼくの愛犬もビックリ仰天の仰向け状態だ。

レオポルト・インフェルトという名のポーランド人が彼の伝記を書いているが,どうもこの伝記にはフィクションの部分が少なくないらしい。大学受験生の頃に,ぼくはそれを読んだはずだけれど,なぜかほとんど内容を覚えていないのだ。ただ題名が『ガロアの生涯 -- 神々の愛でし人』となっていたのだけど、神々に愛されないと天才にはなれないのかとか,神々に愛されても若くして死んでしまうのかとか,そんなことを漠然と考えていたような記憶がある。

当時のぼくは無神論者だった。幼い頃にはキリスト教の幼稚園に通っていたので,食事のときと寝る前には、お祈りをしていたらしいけれど,自分はいつか科学者になるだろうという自覚が芽生え始めた頃からか,神を信じるのは科学者にふさわしくないと思って無神論になったようだ。それが大学生になって理学部で科学者のタマゴッチ、じゃなくて、マネゴトをし始めた頃,どういうわけかキリスト教の洗礼を受けてしまったのだから,人生って不思議どすなぁ。

あのガロアの伝記をきょう思い出したとき,どうして「神」ではなく「神々」だったのか不思議に思った。ガロアはフランス人だから,神がいるとすれば聖書の神になるし,彼の伝記を書いたインフェルトにしてもユダヤ人だったから,やはり一神教のはずだ。ユダヤ教の聖書(つまり旧約聖書)の中には,神が自分のことを「我々は」と複数形で呼ぶ箇所があるらしいが、これはどうやらヘブライ語の特殊な用法らしく,単数のものを複数で表すことで,尊敬の意味を込めるらしい。

とにかく一神教の背景があるはずのインフェルトがあえて神々(Gods)としたのはなぜだろうか。当時の彼は,ユダヤ人でありながら,聖書の神を信じてはいなかったのだろう。一神教の背景をもつ人が神を信じない場合,たいていは無神論者になるように思う。

インフェルトはナチスの迫害を逃れてアメリカに亡命し,プリンストン大学のアインシュタインのもとで数学の研究をしていた。アインシュタインは大学での講義中に、数学の公式を忘れることがあったらしく,黒板で何やら数式を書き始めてその場で公式を導き出すなんてことをしたようだ。数学の得意なインフェルトは,きっとアインシュタインの良きパートナーになっていたのかもしれない。

あれ? きょうはガロアの話をするつもりだった。彼は熱烈な共和主義者であったのだけど,彼の学生時代のフランスは復古王政の頃で,共和主義者には生きにくい時代になっていた。ガロアはかなり反体制的な若者だったようで,19歳のときには入学したばかりの大学で退学処分を受けているし,それから数ヶ月後には,反王政的活動の罪で刑務所に入れられた。やっと自由の身となったと思ったら,今度は決闘をする羽目になり,死を覚悟したガロアは,彼の頭の中にあった数学理論を徹夜で手紙に書いて残した。

その手紙は彼が死んで15年後に、ある数学者によって公表されるが,当時の数学者にはその価値が理解できなかったようだ。ガロアの数学的業績が本当に理解されるようになったのは,彼が亡くなってから40年ほどもすぎていた頃からだという。

今日の音楽 : It Don't Mean A Thing
-- by Louis Armstrong & Duke Ellington

9 April 2007

新・BBCの話(?)


なんだか怪しげな写真を貼ってしまったけれど,よく見ればそれほど怪しくはないことに気づいてもらえると思う。ここはどこなのかと言うと,ぼくの寝室のベッドなのだ。何やらベッドで寝ているような動物が見えると思うけど,これはもちろんぼくではなくて、愛犬のBBCだ。彼はよくこうやって仰向けで寝るのだ。犬は汗をかかないし、体温が高い(38度くらい)ので、おなかが熱くなって寝苦しいのかもしれない。

十代の頃から,寝る前にベッドで本を読むというのが習慣になっていた。1冊にしておけばいいのに,たいていは3冊くらい持ち込んでしまう。もちろん全部を読めるはずがない。それでも毎夜、何かの儀式みたいに,枕元に数冊の本を置くのだった。本屋に入ると,あれも読みたいこれも読みたいという本があまりに多くて,一度に10冊くらい買ってしまうこともあったから,とにかくぼくの部屋にはまだ読んでいない本が次から次へと溜まったのだ。

それできょうの写真だけれど,目的はぼくの愛犬の変な姿を紹介したいと思ったわけだ。でも、ベッドの周辺が本だらけだったりしていて、非常に乱雑に写っていたのだ。毛布とかも、なんだか乱れすぎていて、これは寝室という性質上,公衆道徳的に考えても,公共の福祉に反するのじゃないか。そんなふうに、ぼくは考えたのだ。で、何をしたかというと,ご覧のとおり,フォトショップというソフトを利用して,寝室の実態をごまかすことにしたわけだ。

やっと前置きが終わった感じだけれど,実はきょうの話は、すごくとりとめのない話なのだ。ぼくの愛犬は,基本的にぼくのベッドで寝る習慣はなかった。ぼくが寝坊していつまでも起きないときとか、そんな場合に,ぼくを起こそうとして何かするらしいのだけれど,それでも起きないと,いつのまにか本人もぼくの横で眠ってしまうことがあるようだ。

寝ていて何か口の辺りに動物の足のようなものを感じたような気がして,ボーッとしながら薄目をあけると,吾が愛犬が仰向け状態で、ぼくのからだにくっつくように寝ていて,彼の足がちょうどぼくの口の辺りに落ち着いているなんてことが、時々あるというか、それほど珍しいことじゃないのだ。ただそれだけの話をしたかっただけなのだ。

今日の音楽 : The Dog Song

8 April 2007

政治家の条件


森嶋通夫という経済学者がいた。ニッポンでよりは英国で有名な人かもしれない。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(London School of Economics, LSE)で長く教授をされていた。卒業生名簿にはローリング・ストーンズのミック・ジャガーの名前が見つかるけれど,音楽とは基本的に関係のない純粋に社会科学系の学校である。タイムズの大学ランキングでは,その分野で世界第2位になっているそうだ。ぼくは基本的にランキングってのが好きじゃないけれど,ギネスブックの国イギリスでは,お遊び程度の感覚でやっているのかもしれない。

それはともかく、ぼくは若い頃から森嶋の著書をかなり読んでいたのだけれど、印象として,現代の日本人学者には珍しく、英国の空気というか何か英国らしさというようなものをよく知っている人のように思った。その森嶋の著書の中に『政治家の条件』というのがあって、ずっと前からいつか読もうと思っていたのに,今のところその本の姿さえ見たことがない。岩波新書の一冊なのだけれど,ただいま絶版中らしい。近いうちに古本で探してみようとは思っている。

政治家の条件とは,どんなものだろうか。何よりも大切なことは,責任を果たすということじゃないかと,ぼくはなんとなくそう思っている。人間だから間違うこともあるだろう。それが自分の責任である限り,その過ちをきちんと認めることも,政治家の条件になるのだと思う。問題はもちろん,責任をどう果たすかということだ。

石原慎太郎は,1999年の都知事選の直前に,毎日新聞のインタビューに答え,まるで「君が代」を強制するようなことをしないかのような発言をしていた。ところが、その1ヶ月後に都知事の椅子にすわった石原だったが,その後いつのまにか都内の学校では「君が代」が強制され始め,教師が斉唱時に起立しないというだけで,教育委員会のブラックリストに入れられ,懲戒処分の対象になっていたのだ。

だいたい国旗国歌法にしても,強制はしないという約束だったし,実際その法律の文面には、どこにも強制力を示唆するようなことは書いていない。ニッポン人の前近代的な精神構造によって,法律なるものが国家権力による国民への命令のようにみなされ、教育委員ごときがまるでその絶対権力の監視官にでもなかったかのように活躍する。こんな社会を許す国が先進国と呼べるのだろうか。

山梨から上京していた米長邦雄(将棋九段)は,石原都政下にあって教育委員としての絶対権力を獲得し,2004年秋の園遊会で天皇に向かって「日本中の学校に国旗を掲げて、国歌を斉唱させるというのが私の仕事でございます」と言った。このときの「斉唱させる」という表現に天皇は反応して,「やはり、強制になるということでないことが望ましい」と答えたのだ。それが人間の常識というものだろう。

石原慎太郎は自身の発言の責任を果たさないばかりか,米長のような時代錯誤人間(つまり東京キッドの敵)を教育委員としているのだから、東京タワーも,渋谷のハチ公も,浜松町の小便小僧も,港区きってのシティーボーイも,みーんな驚きあきれて、一気にオナラが爆発しそうだ。その責任をどうしてくれるんだい,石原さんよ。ディーゼル車の排気ガスどころの騒ぎじゃないぜ。

今日の音楽 : Angie
-- by The Rolling Stones (Mick Jagger on vocals)

7 April 2007

ブラック・ジャックと動物愛護

2ヶ月に一度くらいはテレビのスイッチを入れることもあって、いつだったか、ブラック・ジャックが欲深い人間よりも動物の治療を優先するというアニメ作品を見た。こういうアニメなら、安心して子どもに勧められると思ったわけだけれど、スポンサーがP&Gだったので、ぼくは残念でならなかった。

P&Gというのは、アメリカ産の巨大企業だけれど、その子会社のアイムスというペットフード会社は、ビーグル犬を実験に使っていて、動物愛護団体からは何度も批判されているのに、自主的にやめようとしなかった。あれほどわけの分からない化学物質を使用してペットフードを作っているのだから、イヌを実験に使うしかないということなのだろうけれど、英国などでは、動物実験などしないペットフード会社の商品の方が高く評価されているのだから、やろうと思えばできないはずはないのに、どうして動物実験を続けるのだろう。

化学物質で金儲けしようとする企業の存在,そして、科学的素養を生かして生計を立てようとする人間が異常に増えてしまっている現実。そのような現代社会の構造が,巨大な歯車のように動き始めていて、なかなかその動きを止めるのが難しくなっているのだろう。人間社会では、ヒトの経済的欲望によって理想は失われてしまうらしい。動物愛護なんて言葉も,札束の前では元気を失ってしまうのか。イヌの肉を食べるなんてのも,その系統のチェーン店などが広まるような社会では,なかなかその動きを止められなくなってしまうのだろう。

動物実験というと,そのおかげで医学が進歩したかのように思う人が多いのかもしれないが,現代のように生命科学が巨大産業と深く関係するようになると,科学が勝手に独り歩きしてしまって、動物ばかりかヒトをも不幸にしてしまう危険性があるように思う。マハトマ・ガンジーは,動物実験に反対し,動物を苦しめてまで自分は長生きしたくないと言ったけれど,人類を幸福にできるのは,医者よりは,彼のような人間のような気がする。モンテーニュは言った。どれだけ長く生きるかではない,どのように生きるかが問題だと。

ニッポンは世界の実験動物の1割を消費しているという。まさに動物実験大国だ。ヨーロッパなどでは,もうかなり前から化粧品会社などでは動物実験をしないようになっているのに,ニッポンでは今でもそのような動きは見られない。この国では愛犬家からしてその種の問題には無関心のようだから,当分はこの状態が続くのだろう。

実は,ぼくはあのブラック・ジャックのアニメ番組を見た直後に,手塚プロダクションにメールを送り,スポンサーのことも考えて番組を作ってほしいと意見を言ったのだ。しかし、ついに返事はなかった。すでに手塚治は亡くなって十数年が過ぎていたけれど,もし生きていてぼくの意見を知ったとしたら,どうだっただろうか。ハッキリしているのは、彼の後継者の中には,ぼくの意見を無視するような人しかいないらしいということだ。

今日の音楽 : Black Jack David
-- by Jay Ansill

6 April 2007

続・日本で一番カッコいい男


きょうの写真は,白洲次郎が卒業した英国ケンブリッジ大学クレア・コレッジだ。こんなカッコいい大学を卒業した男なら,カッコいい男になるのだろうか。これも違うような気がする。それに、現在のクレア・コレッジの門には,イヌの立ち入りを禁止するような看板があるから、ぼくにはこのコレッジの印象は非常に悪いのだ。その点,本郷の東大の方がよほど自由だった。ぼくの愛犬は三四郎池で泳いだことがあるし(まさかあんな汚い池に本気で入るとは思っていなかったのだけれど)、図書館前でウンコしたこともあるくらいだから。

白洲次郎が憲法改正について語ったのを,ある右派の人間がそれを自分に都合のいいように解釈しているのを見たことがある。白洲は政治的に保守的な人間の近くにいたから,どうも誤解される傾向があるようだ。「諸君」のような右翼雑誌にも登場したことがあったようだし。けれど、白洲は決して右翼的な人ではなかったと思う。むしろニッポンの政界に残る右翼体質の危険性に気づいていたようだ。彼のことを高く評価していた吉田茂であったけれど,戦後の吉田はまるで右翼に近い体質の政治家だったと思う。そのような体質にはきっと白洲は馴染まなかっただろう。9年間の英国での生活が,彼を西洋的な市民に変えていたはずだから。

白洲は彼がその誕生に深く関わった日本国憲法についてこう語っていた。
私は、<戦後>というものは一寸やそっとで消失するものだとは思わない。我々が現在声高らかに唱えている新憲法もデモクラシーも、我々のほんとの自分のものになっているとは思わない。それが本当に心の底から自分のものになった時において、はじめて<戦後>は終わったと自己満足してもよかろう。
白洲次郎は,決して現在の右翼政治家のような改憲を望んではいなかった。ニッポンがヨーロッパのような民主主義の先進国とも,対等に付き合うことのできる真の独立国として恥ずかしくない国になることを、彼は願っていたのだと思う。吉田茂は彼を自分の後継者にしようとしていた節があるが,白洲は、戦後処理が一段落すると,あっさりと政界から身を引いた。彼は決してカッコいい生き方をしようとしたのではないと思う。ただ自由に自分らしく生きようとしただけなのだろう。

今日の音楽 : Stay Gold
-- by Stevie Wonder

5 April 2007

日本で一番カッコいい男

インターネット上での「僕らはあなたに憧れる」とかいう人気投票で1位になったのは、白洲次郎らしい。3位が坂本竜馬だったらしいけれど,白洲はその10倍の票を獲得したとか。

こんなことは最近になって初めて知ったことだ。白洲次郎はいつのまにこんなに有名になっていたのだろう。ぼくが彼に関心を持った頃(たぶん20年近く前)には、ぼくと同世代くらいの人の多くは,彼の存在すら知らなかった。それが今,木村拓哉だとか明石家さんまだとかまでが、彼を尊敬しているそうだから,麻布十番温泉もビックリ仰天だろう。

木村拓哉で思い出したけれど,いつか広尾のレストランで愛犬と一緒にティータイムを過ごしていたら,外の広場でテレビドラマか何かのロケが始まったようだった。そのレストランにはテラス席もあったのだけれど,ぼくらは店内のテーブル席にいた。するとひとりの俳優らしき男が、店の外で、ちょうどぼくらの方向へ向かって歩いて来たのだ。それが木村拓哉だった。

大きな窓ガラスから店内は丸見えだったし、ちょうどそのとき、ぼくの大きな愛犬は,パンか何かのおやつを食べていて,おすわり状態だったから余計に目立ったのだと思う。木村拓哉は,それに気づくと,一瞬眼を見開いて驚いたような表情を見せた。カメラは彼の背後で回っていたようだったから,その表情は記録されなかっただろうけれど。

それで今、ぼくはちょっと考えてみたのだけれど,あのとき、木村拓哉はぼくの姿を見て,カッコいい男だと思っただろうかということだ。何もぼくは特別に彼に関心があるわけじゃないし,石原慎太郎のようにホモを軽蔑しているわけじゃないけれど,その種の傾向だけは男子校時代から皆無であって,いくら有名人だからって,男から特別に気に入られたいという願いは,アリのオナラほどもないのだ。

そうは言いながら,なぜ今あんなことを言ったかというと,「カッコいい男」とはどんな男なのかという基準を考えてみたかったからだ。たとえば身長が185センチ以上あり,流暢にイギリス語をしゃべり,大きな英国犬と優雅に散歩している男ならば、カッコいい男になるのだろうか。まあ、そういう男なら,木村拓哉よりはカッコいい男になる可能性は高いとしても,やはり何かが違うような気がする。

その後,だれかがぼくに教えてくれたのだけれど,木村拓哉は、広尾で英国犬を売っている有名な店からレトリーバーを買ったそうだ。あの店は英国国旗などを飾っていて,店内も非常に奇麗にしているけれど,犬の訓練に野蛮な体罰方式を取り入れているので,まったくイギリス的ではない店なのだ。イギリス的であるとは,決して見た目だけが重要なのではない。眼には見えないところにこそ,イギリスのカッコよさがある。ぼくはそう思っている。

今日のビデオ : 映画 LET IT BE

3 April 2007

人はだれを友とするか


曾野綾子は笹川良一の創立した日本船舶振興会の第二代会長に就任していた。笹川は超国家主義を唱える右翼活動家として、A級戦犯容疑で逮捕されていた。戦後に笹川が本当に改心していたのなら,過去のことは問わずにつき合うことがあってもいいだろう。しかし、母親を背負った自分の銅像を銀座などに建ててしまうというその根性ひとつ見ても,あまりお友だちにはなりたくない人のように思う。

曾野綾子はクリスチャン作家と呼ばれるらしい。たしかにどこかのカトリック教会に属しているようだ。ぼくはいつも不思議に思うのだけれど,どうしてニッポン人のクリスチャンには右翼的な思想を感じてしまう人が目立つのだろうか。イエス・キリストは当時のユダヤ人エリートたちから見て卑しい身分の人々のそばにいることが多かった。それはエリートたちが見失ってしまうようなキリストの正義というものを,社会的弱者の方が敏感に感じ取ることができたからだろう。

しかし、曾野綾子の場合は,笹川良一という,ある意味で日本的なエリートのそばに近づいたわけであって,イエスとは全く逆の方向を向いていたように思う。だから,ぼくにはクリスチャンとして認めることのできない生き方をしている女性に見えてしまうのだ。彼女を取材したことがあるという新聞社の人は,彼女を評して「御用作家」と言った。プロテスタントのクリスチャン作家である三浦綾子が、よく曾野綾子と誤解されるとすれば,かなり迷惑な話じゃないかと思ってしまう。

笹川良一だって,直接に交際してみれば,人間的に良きものを感じさせる人だったのかもしれない。この世に悪魔のような人間なんてそう多くいるはずはない。アサハラだって,イシハラだって、クワバラだって,みんなきっとどこかに美点はあるのだろう。しかし、そういう美点によって彼らの重大な欠点を見逃すようなことをすれば,友人関係は安泰でも,ニッポンの社会はどんどん悪くなっていくかもしれない。

きのうは江副氏の娘さんの話をした。とても良い印象の女性だったと言った。彼女のお父さんはあんな事件を起こしてしまったけれど,おそらく父親としては平均以上に良い父親だったのだと思う。しかし、その社会的責任の大きさを考えた場合に,リクルート事件は決して忘れ去ってはならない事件に思う。江副氏をいつまでも犯罪者扱いすべきだと言っているのではない。モーツァルトのオペラが好きだとすれば,音楽の話でティータイムを一緒に過ごしてもいい人だと思っているくらいだから。

なぜこんな話をしたかというと,政治的な活動を共にする場合にも,ニッポン人には,社会的正義よりは人間的な付き合い(あるいは相性)だとかによって、互いにくっついたり離れたりする傾向があるように感じるからだ。ぼくなら、たとえば、このニッポンで刹処分されているイヌを救うために活動できる人であるなら,たとえその人から「お前のかあちゃん、でーべーそ!」と激しく侮辱されたとしても,イヌの幸福のためになら、唇をかみしめて,オナラもがまんして、活動を共にするにちがいない。

今日のビデオ : Who's Sorry Now
-- by Connie Francis

2 April 2007

ブラックリストの話


卑怯な体質を感じさせるような事件を起こした企業は,ぼくの頭の中のブラックリストに入れる。それがぼくの若い頃からの習慣のようになっていたようだ。それがおよそ間違いでなかったことは,ブラックリストに加わった企業ってのは,それから数年後にまた同じような悪さをしていることがよくあることでも、だいたい証明できるように思う。ところが世間の人ってのは,たいてい過去の出来事は忘れてしまうらしい。

リクルート社は,例の汚職事件以来,さして大きな問題を起こしていないようにも見えるけれど,あの事件に関与していたと見られる中曽根康弘や安倍晋太郎(現総理の父親)などの大物政治家たち(人間的には小物だけど)だとか、やはり公明党(創価学会)なども関係していただとか、その種の怪しい政治的背景を考慮すれば,ぼくのブラックリストに入れるしかない会社になってしまう。

リクルート社の当時の社長だった江副浩正の自宅は、うちからそう遠くない場所にあったので,娘さんとは少なくとも一度は直接おしゃべりしたことがある。記憶では,彼女がちょうど筑波大附属中学の生徒だったときに,あの事件が起こった。おそらくそのせいだと思うけれど,彼女は転校してしまう。その後どこかの高校に入学したようだったけれど,決して名門校ではなかったと記憶している。それでも彼女は2年ほど浪人したのちに慶応大学に進学していた。ぼくが初めて面会したのは,彼女が慶応の学生だった頃だ。

もちろん江副氏の娘さんは,リクルート事件とは無関係だ。いや被害者のひとりだったと言ってもよいと思う。直接お話ししてみて分かったけれど,非常にしっかりしていて信頼できそうな学生に見えた。それでも彼女のお父さんが最高責任者として関与した事件は,ニッポンの政・財・官の癒着構造を示す典型的な事件であって,それに関係した人間たちに、政治家のみならず,文部省や労働省の高級官僚や,NTTの会長までもが含まれていたことを考えると,決して忘れてはならない事件になってしまう。

ぼくは江副夫人とは一度だけお話ししたことがあるけれど,江副氏とは面識がない。おそらく江副氏にしても,個人的にお会いするようなことがあれば,紳士的な人に見えたのだと思う。しかし、あの事件は,ニッポンの上流階級の人々の醜い体質、つまりビートルズ的に表現するならば,「カネこそはすべて」という非常に情けない体質を露呈したものであった。そして、その体質は,小泉政権を経由して,今の安倍政権にまでずっとつながっているように思う。問題は,今のマスコミはなぜリクルート事件のように,現在の支配者層の実態をスクープできないのかということだ。

今夜の音楽 : Beatles Medley (Eleanor Rigby ~ Yesterday)

小泉改革のウソ


政治というものを徹底的にフィクションにしてくれた小泉純一郎だったけれど、その改革の旗印だった郵政民営化の現在の姿を見てみれば,彼がいかにあくどい役者であったかが理解できるだろう。

郵政民営化によって生まれた日本郵政株式会社の社外取締役の名簿に,トヨタ会長の奥田碩の名前が入っているだけでなく,いつかこのブログでも「嫌いな女の話」と題して紹介したあの奥谷禮子の名前まであるのだから、東京タワーもずっこけそうだ。これだけを見ても、小泉改革がまったく庶民のためになされたのではなく,「勝ち組」連中の預金額を上げるためになされたことがハッキリするだろう。

奥谷禮子は、自身の設立した人材派遣会社ザ・アールのほかに、ローソン,日本アムウェイ,楽天野球団,日本エンタープライズ社など、少なくとも現在18団体に関係している。なぜさらに郵政民営化の恩恵までを受ける必要があったのか。この国は,それほどまでに人材が不足しているのだろうか。

奥谷のザ・アールという会社は,郵政民営化が始まる以前の最近4年のあいだに,日本郵政公社から7億円近い仕事を受注していた。彼らの腹黒く貪欲な関係は今に始まったわけじゃないようだ。それにしても、ザ・アールという社名のセンスの無さはどうにかならないものだろうか。

ニッポンの地方都市に住む友人から聞いた話だと,以前まで国際送金のできた郵便局が,最近になってそのサービスをやめたそうだ。海外に送金する場合には,大きな郵便局まで出かける必要があるとか。それと、以前なら海外送金で何か問題が起きたときには,無料で現地当局に調査してもらえたのに,今ではそのサービスは有料になったそうだ。

やはり小泉などが言葉でいくらカッコのいいことを言っても,結局は庶民のカネが目当てだったわけだ。それにだまされてもまだ気づかない庶民てのは、また来年の正月になれば,おめでたい気分で明治神宮などに初詣に出かけるのだろうか。明治天皇が生きていた頃,庶民のために何をしてくれただろう。死んで神様にされたからって、それを拝んで,庶民は本当に幸福になれるだろうか。幸福の王子ならば,庶民からの崇拝を求めることなく,ただ貧しい人たちの幸福を願って自己を犠牲にし,優しいこころのツバメと一緒に,人知れず天国へと旅立つだろうに。

今日の音楽 : All You Need Is Love
-- by The Beatles (John Lennon on vocals)

☆ ビートルズは、1967年に,この歌を史上初の衛星放送で世界へ向けて演奏しています。そのときの録音風景と見られるビデオが見つかったので,それも紹介しておきます。ただし、時間帯によっては,映像が始まるまでにすごく時間がかかってしまうかもしれません。その場合は,ミルクティーでも飲みながら気長に待ってみてください。それでも始まらないときは,お風呂に入るとか、ラジオ体操するとか、お好きな方法で有意義な時間をお過ごしください。

今日のビデオ : All You Need Is Love

All You Need Is Loveの歌詞