☆☆ BB's Blog ☆☆ KV 2

ぼくの名前はBBです。「悪いヤツ」と呼ぶ人もいます。でも、犬には「いいヤツ」だと思われているかもしれません。これでいいのだ。バカボンのパパなのだ。ちなみに、バカボンもBBみたいですが、ぼくはバカボンとは別人です。

30 November 2006

Freedom to the dogs


ネット愛犬家グループで、ニッポンの犬たちの不自由を訴えたら、ペット産業に関係している人間から反論があって、彼が言うには、犬を愛するからこそいつもリードにつないで守ってやる必要があるのだとか。なるほど、そういえば、かつてぼくが批判したニッポンを代表するペット産業会社のホームページでも、似たようなことが書かれてあった。

ある地方都市のデパートの前で愛犬と休憩していたら、小学生くらいの女の子を連れた女性が笑顔で近づいてきて、ぼくの犬のお行儀のよさを賞賛してくれた。まあ、親バカと思われるかもしれないけれど、この種の賞賛には慣れているというか、余りにも多すぎるくらいで、最初はとっても戸惑ったくらいなのだ。彼らはぼくの愛犬を見ていつも同じようなことを言う。まあ、なんておとなしいんでしょう!

ということは、ニッポン人一般のイメージでは、イヌって動物は、おとなしくないものなのだろうか。ぼくはそれが不思議でならない。たしかに、その地方都市では、近所に余りにも騒がしい犬が多すぎた。しかし、それは犬たちを外の犬小屋に鎖でつなぎっぱなしにして、彼らの本来の性質を無視した育て方をしているからにすぎない。つまり、あのように騒がしい犬が目立つのは、人間が犬たちの自由を奪っているからなのだ。イヌは、どうしてか知らないけれど、ヒトと友だちづき合いをすることを何よりも求める動物なのに、その願いを無視するヒトが余りにも多すぎることこそが問題なのだ。

さて、きょう最初の写真は、吾が愛犬の所有する数ある無惨なぬいぐるみのひとつである。彼は、どうしてか知らないけれど、ぬいぐるみを破壊して、中から綿を引っ張り出すのが好きなのだ。いつか友人が教えてくれたことだが、その家には吾が愛犬が破壊したぬいぐるみ(その家の愛犬が興味を持たなかったやつ)がたくさん置いてあったのだけど、たまたま遊びに来ていた近所の子どもたちがそれを見て大笑いしたとか。ふだん公園などで見ていた吾が愛犬のお行儀のよさと優しさからは、とても想像のできない残虐行為の証拠を見て、子どもたちはおかしくてたまらなかったらしい。

ぼくは愛犬を育てるときに、自由を主体的にコントロールできるようなオトナになってほしいという願いをもち、どんな場合にも、その方針を徹底させて育てた。そして、遊ぶときにはできる限り自由にした。遊ぶべき場所でないときには、それが主体的に判断できるように教えた。リードで自由を奪われるから言うことを聞くのではなく、何が正しくて何が悪いのか、自分で判断して行動できるオトナ犬になってほしかったのだ。イヌはそのような願いに応えてくれる動物である。ヒトが彼らを信頼して、彼らから信頼されるようになれば。

あのデパート前で出会った親子だけど、かわいそうに数ヶ月前に同じレトリーバーを交通事故で亡くしたと、ぼくに話してくれた。そのときぼくの愛犬はリードをしないでおすわりをしていたのだが、それを見て彼女は「どうして逃げていかないんですか?」と質問するのだった。ぼくはその地方都市の公園で出会った子どもたちから「どうして逃げていかないの?」と質問されたことを思い出しながら、彼女の愛犬の交通事故がどのような状況で起こったのか、だいたい想像できるのだった。

ニッポンのペット産業は、愛犬のためにいつもリードをしましょうとすすめるけれど、彼らの本当の願いは、犬たちの安全ではなく、まして犬たちの幸福ではなく、愛犬家たちの財布の中味と、世間のイヌぎらいへの配慮から期待できる利益にしかすぎないように思う。こんなことを平気で言うから、ぼくはニッポンのまじめなオトナたちからは嫌われるのかも。


☆ この写真に見えるぬいぐるみは、あの地方都市で知り合った子どもからのプレゼントです。ぼくの愛犬は、特に眼を破壊することにこの上ない快感を覚えるようです。

今日の音楽 : Back Home
-- by Eric Clapton

☆ 最初に短いCMが入ることがあるかもしれません。その場合は、広告が終わり次第、エリック・クラプトンのビデオが始まります。

Back Home の歌詞

29 November 2006

戦争とヌード


あるイギリス映画を見た。題名は、Mrs Henderson Presents、第二次世界大戦直前、ロンドンでヌード劇場を始めた女性の実話に基づいた映画だ。制作には BBC が関係しているらしく、映画の始まりの出演者紹介のスクリーンからして、いかにも BBCらしい出来映えだったので、うれしかった。

当時のお金持ちの夫人が毛皮のコートを着ていたり、若い女性がみなタバコを吸っていたりとか、今の英国では想像もできないような英国の姿がそこにはあったけれど、映画全体から発する空気は、まさに英国そのものであって、ハリウッドと関係しない純粋なイギリス映画は、やはりぼくの趣味にピッタリ合うから、うちのゴールデン・レトリーバーも大喜びだ。

どうやら来月からニッポンの映画館でも上映されるらしいけれど、たぶん映倫の検閲によってボカシが入るシーンもあるだろうし、主人公の夫人から飛び出す過激な単語をどう翻訳することか。それを思うと、歴史と文化のちがいを痛感して、ただため息をつくしかない。

ボカシの入る部分は、男のナニの部分だろうから、あんまりガッカリしなくても大丈夫だと思うけど、これほどに英国的な映画を輸入するときに、ぼくがつくづく思うのは、いま言ったばかりだけど、歴史と文化がちがうと、どうしようもないということだ。それはちょうど犬のテーマでも、ぼくがいつも感じていることだ。

ところで、きょうの写真は、その映画の中のワンシーンで、ヘンダーソン夫人が宮内長官クロマー卿を訪ね、自分の劇場でヌードをやる許可を得ようとする場面なのだ。クロマー卿は、英国の劇場ではスカートの長さにさえ気をつかっているというようなことを言って、夫人の意図を牽制するが、すかさず、スカートは必要ないから平気よ、と何食わぬ顔で言い返すところがすごい。

英国の喜劇はただ人を笑わせるだけでは終わらない。何か人の世の哀しさと美しさと呼べるようなものを、いつも漂わせているように思う。戦争が始まり、政府から劇場封鎖を命令されたとき、クロマー卿と若い兵士たちを前に演説したヘンダーソン夫人には、ひとりの未亡人として、また、かつて若い息子を戦場で失った母親として、およそ女性としての哀しさと美しさのすべてが、その瞳の中に輝いていた。

どんなに悲しくても、人前では涙なんかを見せないぞ。たとえ世の中が戦争でも、自由をすてたりするもんか。Stiff upper lip --- 唇をかみしめて、ほほ笑むのだ。女性の裸、バンザーイ!

http://mrshenderson.jp/

28 November 2006

花はどこへ行った

きょうの「徹子の部屋」のゲストは内館牧子だったらしい。黒柳徹子はインタビューの名手と呼ばれるらしいが、あの手の番組ってのは、たいていゲストの印象をよくするのに役立つような演出しかしないものだ。きょうもニッポン中でどれほど多くの女性たちが、「ああ、やっぱり内館さんて素敵な女性だわ!」と思ったことだろうか。

それはそれでかまわない。ただし、内館牧子が東京都の教育委員として発言するときに、素敵な女性という理由だけで、その教育論にまで素直にうなずかれてしまうと、東京キッドたちが余りにもかわいそうだ。彼女は教育施策連絡会で「今の子供も、たたき込めばわかる」と言ったが、この種の発言は、もしかすると、マヌケなマスコミに洗脳された今どきの良民たちから「そうだ、そのとおり!」ってな声援を受けるのかもしれない。しかし、ぼくには石原都知事のチンピラ教育論と同様に、あのような根性系の教育論を受け入れるわけにはいかないのだ。彼らの本心は、子どもたちのいのちを国家のために犠牲にしようってことなのだろう。それを愛国心と呼ぶのなら、野に咲く花とか、できれば犬などを愛するほうが、よほど子どもたちの未来が明るくなるにちがいない。



今日の音楽 : Where Have All the Flowers Gone
-- by The Kingston Trio

Where Have All the Flowers Gone の歌詞

☆ このページのずっと下のほうにあります。きょうの演奏の歌詞とはちがってる個所もあるみたいですが。写真の男は、この曲を作ったピート・シーガーです。

26 November 2006

悲しいレコード店


レコードからCDに変わって、音楽が気軽に楽しめるようになったのはいいけれど、やっぱりレコードにはすてがたい魅力があるように思う。見た目だけじゃなく、音にしても。

ニッポンの地方都市で暮らし始めたとき、愛犬との散歩の途中で、中古レコード店を発見したときは、ほんとにうれしかった。東京では、青山にあったようなレコード店も、いつのまにか消えてしまっていたから、なんだか文化的に上等な町に越して来たように思えたものだ。さっそく愛犬と一緒に店内に入ったのだけれど、客がだれもいなくて、レジのところに店長らしきヒッピー崩れふうの中年男がぽつんと立っていた。ぼくが特にうれしく思ったのは、ビートルズ関係のレコードが充実していたことだ。ぼくはビートルズのレコードは英国盤で所有しているので必要はないのだけど、今の時代にもビートルズをだいじにしてくれている店を見つけるのは、やはりうれしいものだ。

20分ばかりその店の中にいただろうか。いつのまにか数人の若い客が店内に現れていた。すると、さっきまでこちらをちらちら見るだけだった店長ふうの男がぼくのそばに来て、突然、「犬を外に出してください」と言った。だから、ぼくは「どうしてですか?」と理由を訊いのだけれど、ハッキリとは答えない。おそらく、ニッポンではよくあるように、犬嫌いの客への配慮だろう。しかし、そのとき店内にいた客はみな、どう見てもぼくの愛犬を怖がっている様子はなかった。こういう場合は、犬のことでとやかく言う本人だけが犬嫌いであることが多い。

素直に店から犬を出すだろうと思っていた店長にすれば、ぼくからの反論は、まったく予想外のことだったにちがいない。だいたい、この国では、だれかに犬のことで注意されると、別に悪いことをしていなくても、「すみません」と言いながら、素直に犬への差別を受け入れるのが、常識的な愛犬家らしいから。

それにしても、ぼくが残念に思ったのは、店内に入った直後にではなく、客が入り始めてから初めて注意するという、その一貫性のない方針のことよりも、英国のビートルズを愛するような人が、英国人が何よりも人間の友として愛する犬という動物に対して、偏見をもっているということだった。この種の失望は、ニッポンではよく経験することだけど。

今日の音楽 : Here Comes The Sun

☆ ビートルズの中では、レノン、マッカートニーという天才たちのせいでパッとしない印象のあるジョージ・ハリソンですが、この曲は名曲だと思います。ただし、きょうの演奏はビートルズではなく、ビートルズ狂のおじさんたちによる名演(?)です。まあ、その気持は充分に伝わる演奏ではあるし、この手のおじさん連中は、たいてい犬好きにちがいないから、とにかく拍手を送りたいと思います。パッチ、パッチ。

25 November 2006

母の香水の話


母の愛用の香水がニナリッチであることを知ったのは、つい先日のことであった。母が言うには、ニッポンでは現在その同じ香水がなかなか手に入らないとか。どうやら英国では今も売ってるみたいなので、それを教えてあげたら大喜びだった。ついでに知ったのは、母の愛用の口紅が今もシャネルであること。それで、シャネルが資生堂とはちがって動物実験をしないことを教えたら、それも喜んでいたようだった。母は犬猫を家族同然として育った人らしい。

それはともかく、母について、こんなことも今まで知らなかったということを、ぼくは反省したのだ。と同時に、母が年老いても、おしゃれに気をつかっているのを知って、何かうれしくも感じるのであった。ぼくは自分で親孝行な息子とは思えないのだけれど。

今日の音楽 : My Mum Says
-- by OUTL4W

☆ よく知らないのですが、英国の子どもバンドのようです。この曲、単なるハードロック系の曲に聞こえるかもしれないですが、ぼくの耳には、ビートルズの影響が聞こえてくるんですね。やっぱりイギリスだなあって感じるのです。ついでに、アメリカ人が「かあさん」を mom と書くのに対し、イギリス人は mum と書きます。

24 November 2006

ユートピアなんて


反体制的な運動が勝利したとき
新しい体制が生まれるだろう
ぼくはその勝利のあとの世界を想い
勝利の前の闘いをつづけるのだ

犬を公園に入れるなだとか
犬に自由を与えるなだとか

犬を助ける余裕などないとか
犬を実験に使って何が悪いとか

いつか実現する新しい世界でも
旧体制と同じような体制がつづくなら

ぼくは反体制の闘いをつづけるだろう
イヌバカと呼ばれても
英国バカと呼ばれても
ユートピアなんて夢なのだとしても

今日の音楽 : Stand By Me
-- by John Lennon

23 November 2006

自然と共存するって


「西洋人は自然を支配し、日本人は自然と共存してきた」というような意見を聞いたことがないだろうか。どうなんだろう。これを聞いて、多くの日本人はうなずくのだろうか。ぼくの場合は、へえ、そんなものかなあ、と不思議に思うのだ。右翼からこの種の話を聞いても別に不思議には思わないのだが、左よりの日本人からも同じような意見を聞くことがあって、そんなときには、かなり驚いてしまうわけだ。

大日本帝国が朝鮮半島を支配し始めたころ、かの地にはまだトラが棲息していた。トラは動物の中では凶暴な性格を持っているとされているが、たしかに、オオカミなどとはちがって、たまたまどこかの山奥で遭遇したとすれば、いきなり襲われる可能性が高いかもしれない。朝鮮の人々も、トラを恐れてはいた。しかし、同時に、トラを敬う気持もあったらしい。彼らは恐れながらも、トラと共存していたのだ。

このような態度で動物と向き合うなら、自然と共存すると表現してもいいように思うけれど、朝鮮を植民地化したニッポン人が何をしたかといえば、トラをほぼ絶滅させてしまったのだから、上野動物園のパンダだってびっくり仰天だ。こんな歴史を知れば、ニッポン人が自然と共存してきたなどとは、とてもじゃないけれど、ぼくは認められない。それに、現代の都市の構造を見ても、ニッポンくらいに緑の少ない都市が目立つ国は、よその先進諸国と比べても、特殊だといってもいい。たとえばロンドンと東京で、住民ひとりあたりの公園面積を比較すると、ロンドンが30.4平方メートルあるのに対して、東京23区の場合、わずか2.5平方メートルしかない。ニッポンの地方都市で生活した経験から、こういう緑の少なさは、東京に限ったことではないように思う。

「西洋人は自然を支配し、日本人は自然と共存してきた」という話を信じてニッポン人の優秀性をたたえる前に、実際に、ニッポン人が何をしてきたかを、まずは知るべきだろう。そして、公園などはやはり人間が支配した自然にすぎないとか余計な反論をするひまがあったら、ニッポンの姿を謙虚に反省してこそ、ニッポンの歴史が、今よりは良い方向へと向かい始めるにちがいない。

参考: 阪神タイガースと朝鮮トラ
http://www.mdsweb.jp/doc/846/0846_07b.html

☆ 関西方面の方には申し訳ないけれど、ぼくは特に阪神ファンというわけじゃありません。プロ野球はまったく見ないのです。ただ巨人は嫌いです。東京っ子としては珍しいでしょうか。

今日の音楽 : Clever Moon
-- by Blind Willie

☆ 今日の音楽は、ロンドンにあるハイドパークで演奏された曲のようです。プロというよりは、昔のロックンロール好きのおじさん連中が趣味でやってるみたいです。

22 November 2006

悪いヤツは嫌いですか

「動物を実験に使うくらいなら、アサハラみたいな悪党を実験に使えばいい」と、ある愛犬家の婦人が言った。この種の動物好きなら、ニッポンにも多いのかもしれない。

ぼくはニッポンのテレビをほとんど見ないけれど、テレビを見すぎると、この種の悪党嫌いが増えるにちがいないだろうとは、だいたい想像はできる。ぼくは今でも坂本弁護士の家族のことを思うだけで、オウム真理教への怒りが込み上げてくる。今もアサハラのような男を崇拝する信者がいることを思うと、やり切れない思いになる。

しかし、この種の宗教犯罪者たち以上に、もっとひどい犯罪に関与している政治家や資本家たちが、英国調のスーツに身を包み、高級車の後部座席にふんぞり返っているとすれば、どうだろう。彼らは大衆から犯罪者扱いされることもなく、かえって好意的に支持されていたりすることも多いから、石川五右衛門だってびっくり仰天なのだ。

凶悪犯罪が起こると、大衆は死刑を支持する傾向があるようだ。しかし、死刑などによっては、凶悪犯罪は決して減ることはないだろう。これはぼくの勝手な想像ではなく、専門家の研究によっても明らかになっていることだ。

本当の悪党は、死刑があっても何があっても、自らの手を汚すことなく、凶悪な犯罪を指令するものだし、国家の権力構造が腐っていれば、警察権力だって、そのような悪党には手を出さないものだ。せいぜいたまに見せしめとして、下っ端の悪党をしょっぴいて、マスコミに騒がせるくらいだろう。

アーミッシュの事件は、たしかに痛ましい出来事だった。犯人のロバーツが悪いヤツであることはまちがいない。彼は自殺したが、もし裁判にかけられて死刑になっていたとすれば、そのほうが被害者の遺族は救われただろうか。たまたま被害者の家族は敬虔なキリスト教徒だった。自らも罪びとであることを知り、イエスの十字架のゆえに罪ゆるされた者として生かされていることを知る人々だった。だから、彼らは加害者への恨みよりも、加害者の家族への同情心をより強く持つことができたのだろう。

ヒトの世の不条理は、これからもずっと続くにちがいない。しかし、死刑などという国家権力の強制によってではなく、アーミッシュの人々のようなゆるしによってこそ、凶悪犯罪は減るだろうと思う。少なくとも、愛する娘を失って気が狂いそうになるほどに、本当はやさしい心を持っている人が、凶悪な犯罪を犯してしまうというようなことは、徐々に少なくなっていくのじゃないだろうか。ヒトの世に美しいものがある限り。

今日の音楽 : Let It Be (Take 27)
-- by The Beatles

21 November 2006

ゆるせるなら


アーミッシュの事件の続きを話そうと思う。犯人のロバーツの動機を、警察は初め性的な暴行と公表したようだけれど、真相はまったくちがっていた。彼は生まれたばかりの娘を病気で亡くしていて、以来、神をうらんでいたらしい。学校に押し入り、少女たちに銃を向けたとき、彼はこう叫んだという。「お前たちに、おれの娘の償いをさせてやる(I'm going to make you pay for my daughter)」

ここからはぼくの想像になる。アーミッシュの家々を、毎日、牛乳配達の車を運転しながら廻っていた彼の眼には、アーミッシュの人々の敬虔な生活が、おそらく忌まわしく映っていたのだろう。娘が危篤状態になったとき、彼は神に祈ったにちがいない。どうか娘を生かしてくださいと。しかし、神はその祈りを無視したかのように、娘は死んでしまった。そんな神のことを、アーミッシュの人々は、至高の存在として崇めている。いつしか彼には、アーミッシュの子供たちの笑顔すら、憎らしいものに見えてきたのだろう。もちろん、精神的に異常な状態になりながら。

記憶がハッキリしないのだけれど、たしかキュリー夫人は若いころ、きょうだいか誰かの死をきっかけに、神への信仰をすてたと、ある伝記に書いてあったように思う。その理由がまさに、祈りを無視した神への怒りであった。それを読んだ当時のぼくは、キュリー夫人のような科学者を目指していた幼い無神論者だったので、神への信仰をすててこそ、科学者としてふさわしいかのように思っていたにちがいない。

自殺したロバーツの葬式に、近隣のアーミッシュの人々が参列したことは、以前も話したことだが、これがロバーツの家族にとっては、何よりも救いになったようだ。彼らは、次のような手紙で感謝の気持を伝えている。

「アーミッシュの友だち、隣人、地域住民の方々へ

私たち家族は、あなた方が与えてくれたゆるしと親切と慈悲に、深く感動していることを、皆さんに知っていただきたいと願っています。あなた方が私たちの家族に示してくれた愛に助けられて、私たちは何よりも必要とする癒しを得ることができたのです。あなた方からいただいた祈りとお花と葉書と贈り物は、言葉では表せないほどに、私たちを感動させました。あなた方の同情心は、私たちの家族そして地域社会へと行き渡り、私たちの世界を変えつつあります。そして、そのことのゆえに、私たちは心から、皆さんに感謝しています。

どうか知ってください。あの事件によって私たちの心がどれほどくじけてしまったかを。私たちが愛してきて、これからもずっと愛する隣人アーミッシュの方々のことを思うと、悲しみで胸がいっぱいになります。愛する子供たちを失ったご家族には、これから先もずっと過酷な日々が続くことでしょう。それゆえ私たちは、生活を立て直すことを捜し求めながら、慰めを与えてくださる神に、希望と信頼を寄せるしかないのです。」

To our Amish friends, neighbors, and local community:

Our family wants each of you to know that we are overwhelmed by the forgiveness, grace, and mercy that you’ve extended to us. Your love for our family has helped to provide the healing we so desperately need. The prayers, flowers, cards, and gifts you’ve given have touched our hearts in a way no words can describe. Your compassion has reached beyond our family, beyond our community, and is changing our world, and for this we sincerely thank you.

Please know that our hearts have been broken by all that has happened. We are filled with sorrow for all of our Amish neighbors whom we have loved and continue to love. We know that there are many hard days ahead for all the families who lost loved ones, and so we will continue to put our hope and trust in God of all comfort, as we all seek to rebuild our lives.

今日の音楽 : Ave Verum Corpus (Mozart)
-- by the Choir of New College, Oxford

☆ きょうの写真はアーミッシュとは無関係ですが、今日の音楽とは関係しています。オックスフォードにあるニュー・コレッジの建物なのです。この大学が創立されたのは、1379年ですが、それでも、ニューがくっついてるから、英国は不思議の国なのです。ところで、聖歌隊の歌声が大学生にしては幼すぎると思われたでしょう。実際、大学生じゃなく、まだ子供なのです。

20 November 2006

ぼくが犬になるとき


前回の写真に写っているブタの鍋つかみは、東急ハンズで買ったものだった。これは映画「レオン」に登場したのとまったく同じ物らしいが、これが思いがけず役に立つことになったのは、東京を離れて地方都市で生活するようになってからだ。

その都市では、東京とはちがって、公園に犬が集まらなかった。たまに犬を見かけても、たいていリードをしていて、自由に遊べるような状況じゃなかった。第一、大型犬を公園で見かけることは珍しかった。

東京の公園では、毎日、多くの大型犬と自由に遊んでいたので、その環境の変化で、せっかく身についた愛犬の社会性が失われることを、ぼくは心配したのだ。それで、散歩にもあのブタさんの鍋つかみを持参し、愛犬と遊ぶときにそれを手にはめ、公園内の草の上で四つん這いになって、大型犬を演じたのであった。これがけっこう気に入ってくれたみたいで、彼はブタさんの口と同じくらいに大きな口をあけて、うれしそうに遊ぶのだった。

今日の音楽 : The Puppy Song
-- by Harry Nilsson

The Puppy Song の歌詞