☆☆ BB's Blog ☆☆ KV 2

ぼくの名前はBBです。「悪いヤツ」と呼ぶ人もいます。でも、犬には「いいヤツ」だと思われているかもしれません。これでいいのだ。バカボンのパパなのだ。ちなみに、バカボンもBBみたいですが、ぼくはバカボンとは別人です。

31 October 2006

風に吹かれて


「動物実験には反対だ」と、ガンジーのようなことを、ぼくがネット掲示板などで発言しても、賛同してくれる人はほとんどいなくて、むしろ批判(というより非難かな)を送ってくれる人の多いのが、この美しいニッポンの現実なのだと思う。けれど、不思議なことに、リアルの世界でぼくを知る人に向かって、同じ発言をすると、面と向かって反論するような人は珍しく、かえって支持してくれるような意見を言う人が少なくないようだ。これは一体どういうことだろうか。

ひとつ考えられるのは、ぼくが普段つき合っている人間てのが、ニッポン人としては特殊な部類に属す人々であるという可能性がある。そして、もうひとつ。本当なら非難したくても、面と向かっては言えないという、ある種の奥ゆかしさが、ニッポン人の多くに共通する特質であるという可能性も考えられるだろうか。

むやみやたらに相手を捕まえて反論する人ってのは、どこの社会でも嫌われるかもしれない。それはきっとそうだろうけれど、だいじなことをテーマにしたときは、はっきりと意見を言って議論しなきゃ、人間の社会は良い方向へ向かってくれないのじゃないだろうか。そう考えると、ネット掲示板など、姿の見えない場所になると、ほうれん草を食べたポパイなみの馬力で攻撃してくる人の目立つという、美しいニッポンの現実は、それほど悲観的に思う必要はないのかもしれない。しかし、問題は、本当にだいじなテーマを投げかけているということが、相手に通じているかどうかだ。テーマそのものを見下したような非難や茶々が目立つのも、美しいニッポンの現実ではないだろうか。

「あんたの国は動物虐待列島だ」と、面と向かって言われたら、面白く思わないのが人情かもしれない。しかし、それを「てめえの国だって ... 」てな調子で反撃したら、それはまさに反撃であって、戦争ならそういう情けないことにもなるのだろうけれど、それじゃあ議論などはできなくなってしまう。ニッポンのネット掲示板には、その種の戦争が目立つような気もする。

「レオン」という映画のヒロインは、マチルダという名の女の子だった。彼女が大嫌いな姉のことをブタにたとえたら、それを聞いた殺し屋のレオンは、「ブタは人間よりずっといいヤツだ」と言った。すると、マチルダは「ブタってひどく臭いでしょ」と反論したが、「それはちがう」と、きっぱりと、しかし静かな口調で主張したレオンは、実は台所にブタがいるんだと言って、マチルダを驚かせる。彼があまりにもまじめな顔で言うものだから、マチルダもつい話に引き込まれてしまう。レオンが台所に行って連れ出したのは、もちろん、本物のブタではなく、ブタの姿をした鍋つかみだった。そして、彼はブタの声になって「やあ、マチルダ」と言う。悪徳役人に小さな弟を殺されて泣いていたマチルダの顔に笑みが浮かんだ。

「動物実験には反対だ」と、ニッポン人に向かってぼくが言うときに、きっとレオンのような人なら、ぼくの発言の背後に隠れているものを連れ出してきて、「やあ」と笑顔でこたえてくれるだろうか。

今日の音楽 : Blowin' in the Wind
-- by Bob Dylan and Joan Baez

Blowin' in the Wind の歌詞

23 October 2006

牧羊犬は羊を守るだけじゃない


中国語は習ったことがないけれど、日本語と同じ漢字を使っていれば、なんとか意味が理解できたような気がすることもある。きのうBBCニュースの中国版をボーッと見ていたら、「牧羊犬救主人」という見出しを発見して、思わず本気で読む態勢に入ってしまった。けれど、大学受験生のころに、駿台予備校で出版してる薄っぺらな漢文入門書しか読まなかった身としては、当然のことながら、中国語のニュース記事など正確に読解できるはずがない。それでも、「牧羊犬救主人」なら、「牧羊犬が主人を救う」というくらいの意味らしいことは理解できたわけで、受験勉強も役に立つことがあるという経験ができたのだから、イヌに感謝しなければならない。Thank Dog!

ところが、人生はこれ苦難の連続、いっときの喜びもつかのま、本文最初の文、「人们常说:狗是人类的忠实伙伴」からして、意味がまったくエイリアンだったから、ミルクティーをもう一杯飲まなきゃ、ポパイザセイラーマンにはなれそうになかった。さっぱり言葉が理解できないことを、英語で、It's all Greek to me と言うけれど、ギリシャ語の代わりに中国語にしておいたほうがよかったような気がする。しかし、筋金入りのイヌバカとしては、ここであきらめちゃ渋谷のハチ公に申し訳が立たない。ということで、ネットネコ犬BBCのお父さんのぼく、古代エジプト象形文字を解読する覚悟で、がんばりました。で、ついに理解できたような気持になったのだから、人生は捨てたもんじゃない。でも、「君子危きに近寄らず」というくらいだから、ぼくはやっぱり君子じゃないのだろうけど。

さて、その意味だけれど、ぼくの無鉄砲な読解力ではこうなる。「よく言われるように、イヌは人間の忠実なパートナーである」。たったこれだけ、しかも、カバが逆立ちしても馬鹿にはならないくらいに自明の真理だったのだ。

この記事は、BBCのサイトで、中国人に向けて英国生活を紹介するページの中にあった。BBCがどんな思いでこんな記事を紹介したのかは、ぼくにはだいたい想像できる。とは言っても、本文全体が解読できたわけじゃないので、関心のある人は、下のリンクから直接その記事を体験してほしい。

BBC中国 : 牧羊犬救主人
☆ 中国語に対応していないパソコンは文字化けするでしょうが、いまどきのOSなら中国語も読めるように設定できるはずです。

今日の音楽 : Tears In Heaven
☆ デンマークの高校生たちによるコーラスのようです。エリック・クラプトンが、事故で亡くなった4歳の息子を思って作った歌です。

Tears In Heaven の歌詞

18 October 2006

暴力といのち


ハリソン・フォードの主演した映画「刑事ジョン・ブック/目撃者」(Witness)は、アーミッシュの町が舞台になっていた。アーミッシュ(Amish)とは、米国のペンシルバニア州を中心に住むドイツ系スイスの移民で、今でも電気を使わず、自動車を運転することもなく、馬車に乗っている。きょうの写真は実際のアーミッシュの家族だ。この平和でのんびりとした人々の暮らす町で、今月6日、悲しい事件が起こった。

チャールズ・カール・ロバーツ4世という偉そうな名前の青年が、アーミッシュの学校に押し入り、7歳から13歳までの少女5人を銃で撃ち殺した。チャールズ自身はアーミッシュではなく、アーミッシュの家に牛乳を配達するトラックの運転手をしていた。射殺された子供たちの中にマリアン・フィッシャーという名の13歳の少女がいた。小さな子供たちに銃を向ける青年に対して彼女はこう言ったという。「私を最初に撃って(Kill me first)」

彼女は、妹を含めて自分より小さい者たちを、自らのいのちを犠牲にして守ろうとしたらしい。マリアンが撃たれたあと、11歳の妹のバービーは「次は私を撃って!」と叫んだという。バービーは肩と足を負傷したけれど、いのちは助かった。

こんな事件のことを聞くと、まるで映画か童話の話のように思う人も多いのかもしれないが、この事件に関して英国のエクレシア(Ekklesia)というキリスト教サイトに書かれた次の解説を読めば、このような非現実的なことも、ある種の人々にとっては現実となりうることを、想像はできるだろうか。

「服装とか倫理観だとか、富や科学技術への拒絶だとかに関しては、彼らのライフスタイルは保守的だけれども、ドイツ系アナバプティストを先祖とするこれら純朴な人々には、無抵抗と平和を信じる急進的な信仰がある。イエス・キリストの生き方として(Although conservative in their lifestyle as regards dress, personal ethics, refusal of wealth and abstinence from technology, the ‘plain people’ – descended from German Anabaptists – have a radical belief in non-resistance and peace as the way of Jesus)」

ロバーツ4世は自殺した。その葬式に、何人ものアーミッシュの人々が参列し、犯人の遺族に対する同情の気持を行動で示した。彼らは怒りを感じないのか。悲しみを感じないのか。

「祈るときは、自分の部屋に入り、見えない父なる神に祈りなさい」という聖書の言葉をぼくは思い出す。これはイエスが、当時のユダヤ人の宗教的指導者たちが、自己の敬虔さを誇示するかのように、人通りの多い路上で祈っている姿を批判した直後に、弟子たちに言った言葉だった。

「私を撃って!」と叫んだマリアンのことを思う。彼女の両親のことを思う。きょうだいのことを思う。友だちのことを思う。愛犬だっていたかもしれない。彼らの平和な生活。彼らの笑顔。彼らの見えない悲しみ。彼らがひとり自分の部屋に入ったとき、祈りながらも頬を伝わる涙。

ヒトの世の不条理。暴力を思う。いのちを思う。

今日の音楽 : One Good Friend
-- by an unknown (English woman perhaps)

17 October 2006

萌ちゃんのこととか


「あら、あなた、モエちゃんより可愛いわね!」

人に案内されて何やら古びた駅の前にやって来たものの、そこがなんなのかも分からずに駅の入り口で愛犬の写真を撮っていたら、中から出て来た婦人が、そんなことを言っていた。「モエちゃん」と聞いても、ぼくにはまだなんのことだか理解できなかった。中に入ると、東京タワーの蝋人形のように、女の子の人形が椅子に腰掛けて窓の外を見ていた。やがて到着する汽車を待っているかのように。

なるほど。これがモエちゃんだな。そこまではなんとか理解できたけれど、NHKの朝の連続テレビ小説「すずらん」の主人公が萌ちゃんであったこと、そして、そこの駅が、まさに舞台となった駅であったことを知るには、さらに説明を聞く必要があった。ぼくは昔からテレビを見ないから、テレビの世界のことに関しては、だいたいいつもこの調子だ。だから有名な女優と目の前でおしゃべりしていても、それと気づかないなんてことは珍しくない。とは言っても、女優とおしゃべりするなんてことは、たぶん珍しいのだろうけれど。

駅長室に入ると駅長がいた。これも東京タワーの蝋人形状態だった。ここでも記念写真を撮ってみた。そのとき思い出したのは、ハチ公のことだった。ハチ公は当時の渋谷駅の駅長に可愛がられ、時には駅長室にも入っていたらしい。そんなことをふと思い浮かべたりもした。今の渋谷の駅長に、そのような心の余裕があるだろうか。渋谷に野良犬が歩いているなんてことは、想像もできない時代になってしまったけれど。


今日の音楽 : Devoted To You
-- by The Everly Brothers

Devoted To You の歌詞

8 October 2006

言葉っておもしろい


日本語には母音の種類が少ないので、日本人にはヨーロッパ言語の発音が苦手な人が多いらしい。母音だけでなく、子音でも、たとえば R と L の発音などは、昔から日本人が不得手として来たようだ。外交官の妻として昭和初期の東京に暮らした英国人キャサリン・サンソムは、日本人が紅茶のリプトンを発音するとき、英語の Lipton ではなく、Ripton のように聞こえると書き残している。

外国語の発音というのは、このように厄介なものだけれど、考えてみれば、日本語の発音だって、人によって(あるいは地方によって)かなりちがっている。それに、時代によっても発音は変化していくものらしい。たとえば「十回」の発音だけれども、これを多くの日本人は「ジュッカイ」と発音するようだけど、ぼくは今でも「ジッカイ」と言ってしまう。「新宿」にしても、どうも「シンジク」と発音しているような気がする。こんな話をすると、またぼくの年齢が問題になりそうだけど、こればかりはどうしようもない。困ったことに、パソコンの日本語インプットメソッドで「じっかい」と入力しても「十回」には変換してくれないようだ。だから、わざわざ単語登録して、「じっかい」でも「十回」に変換できるように設定しなきゃならない。ちなみに、聖書の「十戒」なら、たいてい「じっかい」で変換してくれる。「十回」ほど一般的な言葉ではないから、元祖の発音が保たれているのだろう。

英語でも同じような現象があるように思う。たとえば、London という単語。これの正しい発音は、カタカナで表現するのはむずかしいけれど、mother の「マ」と同じ母音ということになっている。しかし、イギリス人の発音を聞いていると、「ランドン」というより、「ロンドン」に近い発音をしている人がけっこう多いような気がする。これは、もともと mother に見られるような母音が、日本語の「ア」ほどにハッキリしていないためもあるけれど、ぼくの想像では、London のつづりに影響されて発音している人が、イギリス人にも多いせいじゃないだろうか。ちょうど日本語の「十回」のように。

それで思い出したけれど、ぼくの友人にこんな男がいた。彼はこともあろうにアメリカ人の女子高生に向かって、stomach (おなか)を、ストマッチと発音したのだ。正しくは、もちろんスタマック。はじめ怪訝な顔をしていたアメリカ人だったけれど、意味がわかって大笑い。おなかをかかえて笑ったそうだ。ぼくとはちがって、オナラは大丈夫だったと思うけれど。

ところで、あの友人だけど、上智大学の外国語学部(英語学科)に推薦入試で合格したのだから、このニッポンて国は、犬には不寛容でも、英語には寛容なのかもしれない。

今日の音楽 : That Old Feeling
-- by Peggy Lee