☆☆ BB's Blog ☆☆ KV 2

ぼくの名前はBBです。「悪いヤツ」と呼ぶ人もいます。でも、犬には「いいヤツ」だと思われているかもしれません。これでいいのだ。バカボンのパパなのだ。ちなみに、バカボンもBBみたいですが、ぼくはバカボンとは別人です。

28 September 2006

英国的な、余りに英国的な

ぼくがタイプライタを打つ練習をしたのは、きょうの写真にあるような古めかしいやつで、ハノンの楽譜で指を鍛えなければ、関節炎を起こしそうなくらいに強烈なマシンだった。1930年代の英国製タイプライタだったと思う。こんな話を始めると、いよいよぼくの年齢が不明になってくるだろうけれど、ぼくは若い頃から同世代とはちがうタイムゾーンで生きていたことだけは理解してほしい。とは言ってみたものの、一体なぜ理解してもらう必要があるのかも、かなり不明だけれど。

服装の趣味にしても、原宿のBEAMSや渋谷のSHIPSなどよりは、代官山のロイドが、学生時代からずっとぼくの好みであった。同じトラッド系にしても、流行を追うトラッドか、流行に無頓着のトラッドか、そのどちらかで店の雰囲気も変わるだろう。代官山のロイドは、百年一日のごとく、いつも同じようなものしか売ってなかった。それでも、いつ行っても楽しい時間を過ごせたものだ。店員とのおしゃべりも楽しかった。あの店にはいつも古き良き時代の英国があったのだ(新しくなったロイドのことは知らない)。

あれ? ファッションの話をする予定じゃなかった。タイプライタのことからパソコンの話をしようと思っていたのだ。

英国製のタイプライタでタイピングを練習したせいで、ぼくはパソコンも英国式に設定している。これは昔からパソコンでも可能なのだけれど、困るのはキーボードだ。日本向けはもちろんダメだし、アメリカ向けもイギリス仕様とはちがっている。日本ではアメリカ仕様はたやすく見つかっても、まずイギリス仕様は手に入らない。日本人にとって英語とは、たいていアメリカ英語のことらしいから、パソコンのキーボードだって、アメリカ式で充分だと思っているのだろうか。

いつかアップル・ジャパンに電話して、イギリス仕様のキーボードのやつを注文できないかと尋ねたら、やはりアメリカ仕様のものしか用意できないという話だった。個人輸入しようとしても、英国の店は、パソコンのような精密機械を輸出してくれないのがふつうなのだ。だから、パソコン本体が新しくなっても、キーボードはずっと古いやつを使いつづけた。これがその写真


数字3のキーにポンド通貨の記号がついているのがイギリス仕様の特徴だ。これ以外にもアメリカ仕様とはかなりちがっているのだけれど、とにかくこのポンド記号がないと、ぼくは落ち着かない。たぶんあの幽霊のようなタイプライタのせいだろう。

今日の音楽 : Dedicated Follower of Fashion
- by The Kinks

They seek him here, they seek him there
His clothes are loud, but never square
It will make or break him so he's got to buy the best
Cos he's a dedicated follower of fashion

And when he does his little rounds
Round the boutiques of London Town
Eagerly pursuing all the latest fads and trends
Cos he's a dedicated follower of fashion

Oh yes he is (oh yes he is), oh yes he is (oh yes he is)
He thinks he is a flower to be looked at
And when he pulls his frilly nylon panties right up tight
He feels a dedicated follower of fashion

Oh yes he is (oh yes he is), oh yes he is (oh yes he is)
There's one thing that he loves and that is flattery
One week he's in polka-dots, the next week he is in stripes
Cos he's a dedicated follower of fashion

They seek him here, they seek him there
In Regent Street and Leicester Square
Everywhere the Carnabetian army marches on
Each one an dedicated follower of fashion

Oh yes he is (oh yes he is), oh yes he is (oh yes he is)
His world is built round discotheques and parties
This pleasure-seeking individual always looks his best
Cos he's a dedicated follower of fashion

Oh yes he is (oh yes he is), oh yes he is (oh yes he is)
He flits from shop to shop just like a butterfly
In matters of the cloth he is as fickle as can be
Cos he's a dedicated follower of fashion
He's a dedicated follower of fashion
He's a dedicated follower of fashion

25 September 2006

フランダースの犬

きょうの写真は、ルーベンスの「キリストの降架」、『フランダースの犬』の少年ネロが憧れた絵だ。

「フランダースの犬」と聞いて、「何それ?」と首をかしげる日本人は少ないだろう。しかし、西洋人ならもっと知っているにちがいないと思うとすれば、それは思い過ごしも恋のうち。(今夜はビックリ仰天バージョンをやめて、サザンオールスターズ・バージョンでまとめてみました。)

ぼくは愛犬と散歩していて、時に若い人から「パトラッシュ!」と声をかけられたことが何度かある。正確には、ぼくにではなく、ぼくの大きな犬への呼びかけであったわけだけど。六本木でビルの谷間を散歩しているときもそうだったし、雪国で氷の道をすべって転びそうに歩いているときもそうだった。だから、きっと沖縄でも同じなのだろう。

ところが、すでにサザン・バージョンで明らかにしたとおり、西洋人で「フランダースの犬」を知っている人は、むしろ珍しいようだ。第一、あの物語の舞台となったベルギーのホーボーケンの町の人でさえ、ずっと知らなかったくらいなのだ。現代のベルギー人がその話を知るようになったきっかけは、なんとニッポンからやって来た観光客の質問だったというから、渋谷のハチ公もビックリ仰天だ。

それは1982年だった。背の高い日本人の若者が、アントワープの駅で、そこの観光課の役人に英語でこう質問したという。「フランダースの犬を知ってますか?」

その役人(名をジャン - あるいはヤン?- という)はまったく知らなかった。彼の記憶力か教養が特別に悪かったのではなく、当時はそれでごくふつうのベルギー人だったのだ。ただ、ジャンがふつうとはちょっとちがっていたのは、彼のその後の人生を変えてしまうほどに、あの日本人観光客の質問に影響されてしまったことだろう。彼は同僚から聞いたヒントから図書館で本を探し始め、ついに「フランダースの犬」の原書(英語)を発見した。翻訳はオランダ語でもフランス語でも見つからなかった。記録を見ると、その本を借りた人は、1世紀のあいだに、ジャンを含めて5人しかいなかった。

それから始めて、ジャンの「フランダースの犬」研究は、日本で出版されている本を読むために、日本語を学び始めるまでに発展した。彼のオフィスは、パトラッシュ関係の本で埋まった。当時のジャンを知る同僚たちはみな、彼の頭が変になってしまったと思ったらしい。

いま、ホーボーケンの町には、パトラッシュとネロの銅像がある。これはジャンの努力によって完成した。



☆ 参考: 英語ですが、きょうの話の背景を楽しめる写真が載ってるページを紹介します。ジャンの写真もあります。

ジャンのパトラッシュ物語

今日の音楽 : Edelweis

7 September 2006

胸がいっぱい


前回の話は、徹夜でボーッとした頭の中から出て来た話で、なだいなだの『鞄の中から出てきた話』にくらべれば、出版するほどの価値のない内容であることは確かだと思う。その中で、つい若い頃に作曲した歌のことまでしゃべってしまったけれど、それを読んだbeldamさんが、「BBさんが作った曲、聴いてみたかったです」と言うものだから、基本的に純朴なぼくは思い出そうとしたのだが、自分でもほとんど覚えていなかった。もう20年ほども昔のことなのだ。

で、もしかしてと思い、ネットで検索してみたら、なんとそれらしきものが見つかったから、ひょっこりひょうたん島もビックリ仰天だ。といっても、歌の楽譜が見つかったのじゃなくて、明らかにぼくが作詞作曲したと思われる歌のことが、あるサイトの掲示板で話題にされていたにすぎない。これがそのサイト:

http://www3.rocketbbs.com/402/bbs.cgi?id=4623&page=5

上から4番目の Astropholeよしとも という人が、「仙台の中学生たちは何かとあれば「君は宝物」の賛美を歌っています」と書いているけれど、この「君は宝物」こそ、ぼくが首都圏の中学生夏季キャンプのために作った歌だった。埼玉大学ならまだ不思議ではないけれど、東北の仙台にまで伝わっているというから、自由の女神もビックリ仰天なのだ。

「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」というけれど、作曲者不明の歌が、月日の流れの中で、ずっと若い人々の中で歌われつづけていたということを思うと、ぼくは感謝の気持で胸がおっぱい、じゃなくて、いっぱいになり、ほぼFカップに近づいたような気分だ。

あの夏に出会った中学生たちが、今どこで何をしているのかは知らないけれど、夏が終わっても、彼らが歌いつづけてくれたから、今の中学生たちも歌ってくれるのだ。ここで湘南の海に向かって「君たちは宝物だ!」と叫べば、青春とはなんだ!になってしまって、若い人には通じなくなるから、ぼくはちょっと犬と散歩に出かけて、星空を見てきます。

今夜の音楽 : 上を向いて歩こう

5 September 2006

ここでも著作権を考えた

著作権法というものは、ほんとうに作家にとって頼りになる法律なのだろうか。たとえば音楽業界だけど、作曲者の作品に便乗して利益を得ようとする組織が多すぎるように思う。地主の所有する土地に関係してカネを稼ぐ不動産業者のように。よくわからないけれども、日本製のCDの値段が西欧とくらべて高いことと、ニッポンの地価の高いこととが、どこかで関係しているようにさえ思えてしまうのだ。もしかして、著作権法でいちばん助かっているのは、作家ではなく企業なのじゃないだろうか。

ニッポンではむかしからレコードが非常に高価だった。輸入盤が高かったのは、1949年に1ドルが360円に固定されて25年ほども変わらなかったせいなのだろう。アメリカの高校に留学していた先輩が言ったことを今も覚えているけれど、当時でさえアメリカではLPレコードもかなり安く買えたらしい。いま銀座の山野楽器などで輸入盤CDの棚を見ればすぐに気づくことだけど、同じ内容のCDでも、日本製がいちばん高いのがふつうだ。なぜだろう。1枚のCDで利益を得る人間が多すぎるのじゃないだろうか。

VHSビデオについても、同じことがいえる。英国では、映画のビデオテープは、2,000円もしないで買えたものだけれど、ニッポンでは、1万円を超える値段がついていることだって珍しくなかったはずだ。英国では安く売っているものが、ニッポンではハチ公が飛び上がるほどに高いというのは、なぜだろう。高速道路が英国では無料なのに、ニッポンでは年金生活者の家計に地響きを起こすほどに高いことと、何か関係があるのだろうか。

こういうニッポンの現実があると、たしかに、著作権を侵害して作家の不利益になるようなことを平気でする人も増えるのかもしれない。しかし、あまりにも神経質に著作権法を適用しようとすれば、けっきょく、著作者自身にとっても不利になるような気がしてならないのだ。

ぼくは若い頃に、首都圏のキリスト教会が合同で主催する中学生のための夏季学校の実行委員をやっていたことがあって、どういうわけかテーマソングを何曲か作ったことがあった。ぼくはそのどれにも作曲者としての自分の名前を入れないで、楽譜を印刷してもらった。キャンプ初日には、中学生たちを前にギターを弾きながら歌唱指導したものだ。そう、あの頃ぼくは若かった。子供たちはすぐにメロディーを覚えてくれるけれど、最初はそれほど元気はない。しかし、キャンプ最終日にもなると、彼らの歌声が森の緑の中にとけ込むかのように、ほんとうに明るく元気に歌ってくれたものだ。若い彼らの未来に期待するぼくの気持が伝わったかのように。

もちろんぼくはプロの音楽家ではない。けれども、音楽で伝えたいメッセージが人々に理解されたときの喜びこそ、プロの音楽家にもいちばん必要とするものじゃないのだろうか。音楽産業という言葉があるように、音楽が余りにも金銭的なものに支配されすぎると、だれよりも音楽家自身が自分のいのちを失うことにはならないだろうか。

今日の音楽 : How Much is that Doggie in the Window
-- sung by Patti Page

How Much is that Doggie in the Window の歌詞

4 September 2006

ちがいのわかる人へ


古いパソコンでこのブログを見てみたら、ページのレイアウトがまったくちがっていて、非常に読みにくかった。多少のちがいはあっても、イギリス英語とアメリカ英語のちがいほどもないだろうと思ってたら、なんと英語と中国語のちがいくらいはあったから、ネスカフェ・ゴールドブレンドもビックリ仰天だ。

皆さん(といっても、3人くらいかもしれないですが)、もしきょうの写真とくらべて、このブログのページがかなりちがって見えるようでしたら、真夜中の12時に窓をあけ、月に向かって吠えてください。吠え方は、オオカミ式でもかまいません。きっと何かが起こるでしょう。ぼくのブログはそのまま変わらなくても。

今日の音楽 : It's Only A Paper Moon
-- sung by Penny Hanna

It's Only A Paper Moon の歌詞

【追記】ちがいの原因がわかりました。パソコンの古さには関係なく、ブラウザとして Internet Explorer を使うとレイアウトが乱れるようです。もしかすると、Windows では大丈夫なのかもしれないです。最近の Mac の標準ブラウザである Safari なら問題はないですが、クラシックMacを愛用している方で、どうしてもぼくのブログを本来の姿で読みたいという奇特な方は、Netscape を利用してください。

1 September 2006

黒板て黒いのかな


このブログの名前に KV 2 というのがくっついているのを不思議に思う人がいるかもしれない。KV というのは、モーツァルトの作品番号につけられる「ケッヘル」のつもりなのだ。ニッポンではふつうただの K で表されるようだけど、K 2 だと何かと誤解される可能性があるだろう。

なぜ 2 なのかといえば、このブログの前にすでに BB's Blog というのがあったのだけれど、何者かの工作によりアクセスができなくなってしまったので、臨時のブログをつくる必要があったのだ。で、モーツァルト・ファンのぼくとしては、思わず「ケッヘル2」というのが頭に浮かんだという次第である。実際の KV 2 はメヌエットで、モーツァルトがまだ5歳の頃に作曲したピアノ曲だ。ぼくのブログも幼い作品にすぎないという気持が、どこかにあったかもしれない。

さて、きょうの写真は、アインシュタインが、1931年、オックスフォード大学の黒板に書いた数式だ。黒板の色が黒であることを不思議に思う人がいるだろうか。白黒写真だから黒いというわけじゃなく、実際、英国では黒板は黒いのがふつうだったようだ。おそらくニッポンの学校では、黒板といえばたいてい緑色なのだと思う。

黒板の歴史のことは知らないけれど、どうも英語の blackboard をそのまま直訳したような印象がある。古い学校には、ニッポンでも黒い黒板が残っているところがあるかもしれない。英国では、チョークの粉がからだに良くないということで、学校から黒板が消え始めているらしい。

ブログの話から黒板の話題になったのは、このブログの背景が黒くて黒板のように見えるからだ。実は、最初のブログはかなり前に復活していて、前とはちがうURLでアクセスできるようになったのだけれど、その背景がピンクなものだから、今の黒いのから見れば、バービー人形が飛び出しそうなほどに、ものすごく女の子っぽく見えてしまう。そういうわけで、最初は臨時のつもりだったこの KV 2 を、このまま続けようと思ったのだ。リアルの世界で黒板が消えていくことを、どこかで淋しく思いながら。

今日の音楽 : Blackboard of My Heart
-- sung by Hank Thompson

Blackboard of My Heart の歌詞