☆☆ BB's Blog ☆☆ KV 2

ぼくの名前はBBです。「悪いヤツ」と呼ぶ人もいます。でも、犬には「いいヤツ」だと思われているかもしれません。これでいいのだ。バカボンのパパなのだ。ちなみに、バカボンもBBみたいですが、ぼくはバカボンとは別人です。

31 July 2006

ヒトは高等な生物か?


ほんとうにヒトは、この地球上で、いちばん高等な生物なのだろうか。進化論では、そういうことになっているらしい。しかし、ぼくには、いつもそれが疑問なのだ。

たとえば、イヌという動物を、ひとはどう見ているのだろう。特別にイヌぎらいでもなければ、たいていのひとなら、ぬいぐるみや、ミニスカートが可愛いと思う程度には、イヌだって可愛いと思っているにちがいない。しかし、ヒトに比べれば、イヌはずっと下等な動物だと、多くのひとは決めつけてはいないだろうか。

イヌが笑うという事実を、どれだけのニッポン人が知っているだろう。笑う動物は、悲しみも感じるにちがいない。ぼくは、悲しみを知っている動物は高等だと思う。そして、そういう動物を悲しませてはいけないとも思う。彼らをできる限り幸せにしたいと願うのだ。

ヒトの世を観察していて、いつも思うことがある。毒ガスや檻やリードなど、ほかの動物には作れないものを作るだけの才能をもっているのがヒトだけれど、そういうものでイヌという動物の自由を奪い、彼らを悲しませ、ヒトの都合によって命までも奪うとすれば、そのようなことのできるヒトとは、ほんとうに地球上でいちばん高等な生物になるのだろうか。ほんとうに、ヒトは悲しみを知っているのだろうか。

今朝の音楽:SMILE

☆ チャップリンの映画 Modern Times のテーマ曲です。ここで歌ってるのは、現代の歌手 Maria Mitina という女性です。歌詞はこちらでどうぞ。

http://ednapurviance.org/chaplininfo/smilelyrics.html

28 July 2006

コモンセンスが通じない

「常識は、言葉数が少なくてすむようにするのに人間が発明した武器であって、そうすれば、言葉を使う努力はもっとましなことに向けることができる」

これは吉田健一が『英国に就て』の中で書いているのだが、ニッポンで暮らしていると、この常識ってやつで、ぼくはとても苦労するわけだ。ぼくの頭は禿げそうな気配はないけれど、白髪が目立って来たことはたしかで、その原因のほとんどは、たぶんニッポン人一般との常識観のちがいだと思う。吉田健一は、まちがいなく、英国人のコモンセンスを思っていたにちがいない。英和辞書によれば、common sense は、「常識」となるのだろう。しかし、コモンセンスと常識では、余りにもちがうような気がする。

このブログのおすすめリンクでも紹介している「リビング・ウィズ・ドッグズ」という愛犬サイトがある。これは、ぼくが知る限り、日本語のイヌ関係サイトとしては、最高に質の高い内容のあるサイトだ。以前、あるネット愛犬家グループで、ニッポン中の愛犬家を敵に回して孤軍奮闘していたとき、ぼくに直接メールを送ってくれたのが、そこの管理代表者のUさんだった。彼女はこう書いていた。「語る場所がちがうように思います。私のサイトで、思う存分、語ってください」

そのサイトの優秀さは、すぐに分かった。そして、そこの管理人がぼくの東京の地元に近い町に住んでいることを知って、ややホームシック気味だったぼくは、旧友に再会したかのように、うれしかった。しかし、ぼくは彼女にこう返事を書いたのだ。「コモンセンスが通じない愛犬家と議論することで、ニッポンのイヌ事情を変える何かを発見したいのです」

しかし、ぼくの願いに反して、あの愛犬家グループでは、議論らしき議論ができなかった。ぼくの意見に反応した人の多くは、反論するのではなく、一方的に非難して来たのだ。表面的には、礼儀正しい言葉遣いをしてはいても、まったく話の通じない人たちだった。中には、ぼくをまるで「非国民」扱いするような人までいた。そして、管理人までもが彼らの味方をして、ついにぼくを追い出したのだった。その後、老人党に出没するようになるまで、ぼくはまたしばらく日本語圏のネット世界から離れてしまった。

ここしばらく老人党関係で忙しかったので、久しぶりに、リビング・ウィズ・ドッグズを覗いてみたら、そこの掲示板(フォーラム)でも、きわめてニッポン的な常識で発言している人が目立った。思わずいくつか投稿したら、予期したとおり、反論が届いた。愛犬家であるという共通点があっても、常識の通じない人が多いのが、ニッポンの現実である。なぜ、いつも振り出しから始めなきゃならないのか。そう思って、がっくりする。そのとき、ぼくの頭には、白髪が3本は増えるにちがいない。ほんとうなら、言葉を使う努力は、もっとましなことに向けたいのだけど。

今朝の音楽:THESE FOOLISH THINGS

☆ リアルプレーヤーをインストールしていないと聴けません。無料でダウンロードする方法は、こちらを参考にしてください。

http://art.page.ne.jp/real/real.html

なお、300Kbps以下の通信回線の方は、映像が小さくなりますが、こちらでどうぞ。

THESE FOOLISH THINGS - low

27 July 2006

レレレのレビュー

ネット通信販売アマゾンには、カスタマーレビューというのがあって、日本列島のどこかには、これに人生のすべてをかけているような人もいるらしい。本のレビューを書くとすれば、読んでからでなきゃできないはずなのに、中には、ほんとに読んだのかなあ、と思わせるようなレビューも少なくないようだ。特に、ある種の思想をもった人の中には、自分の気に入らない作家の本に対して、内容などには無関係に、誹謗中傷するような人までいるらしい。

加藤周一著『憲法は押しつけられたか』を紹介するページにも、その種のレビューを発見できた。筆名を「ちゃんりんしゃん」という人がいて、この人が加藤氏の著作を評してこんなことを書いていた。「日本の国防力を無力化しようとする工作本です。日本には諸外国の工作員がたくさんいます」。たったこれだけ。これでレビューと呼べるなら、レレレのおじさんだって、声も出ないだろう。

ぼくは普段あまり余計なことはしない方なのだけど、さすがにこれには黙っていられなくて、すぐにアマゾンにメールを送った。「加藤周一のように現代日本を代表する国際的な評論家を、“売国奴”とか“工作員”とかと決めつけるなど、単なるネット右翼の暴言と言うしかなく、加藤氏への名誉毀損に相当する行為です。このままでは貴社の名誉にも関わることになりますから、至急、これを削除していただきたい」と書いて。こんなことは初体験。老人党掲示板でもしたことがないけれど、すぐに削除して感謝メールまで送って来たアマゾンだったので、とりあえずはホッとした。

この「ちゃんりんしゃん」という人は、よほどレビューが好きらしく、調べてみたら、『お医者さんも知らない治療法教えます』のレビューでは、「さすが天下の朝日新聞論説委員」と著者をほめたたえていた。この人は、加藤周一の『夕陽妄語』が朝日新聞に連載されていたことは知らないのだろうか。それにしても、今どきの朝日ファンには、クロネコヤマトもビックリ仰天だろう。これだけじゃない。この人は『それいけ!アンパンマン --- ハピーの大冒険』というDVDを評して、「子供に安心して見せられるアニメ」と絶賛し、☆マークは最高の5つ星をつけていたから、ぼくは「レレレのレビュー!」と、心の中でひっくり返ってしまったのだ。世の中には、安心して子供に見せられないオトナが多すぎるようだ。

今朝の音楽:WHAT A WONDERFUL WORLD

26 July 2006

God Save The Queen

英国では、国歌 God Save The Queen を演奏するときは、歌詞を歌わないのが普通なのだ。また、学校教育の中で、国歌が演奏されたり、歌われたりするような場面は、まずありえないと言ってもいい。ある種のニッポン人のように、「君が代」や「日の丸」を熱愛することを愛国心だと信じ、彼らに同調しない国民を非国民のように軽蔑したり、いじめたりするような人間は、英国では idiot つまり「愚か者」と呼ばれる。

きょうの写真、十代の頃のエリザベス女王を見れば、「主よ、女王を守ってください」と願ってしまうのが、イヌバカひとすじのBBではある。

今朝の音楽:GOD SAVE THE QUEEN

日比谷公園と戦争と

日比谷公園のある場所は、1903年に、ニッポンで最初の西洋式公園として誕生する前は、陸軍近衛師団の練兵場だった。富国強兵にいそしんでいたはずの明治政府にしては、なかなか見事な采配ではある。

東京には散歩していて楽しい道がない、というようなことを言ったケーベル博士だったが、たしかに、ヨーロッパの都市に比べれば、当時の東京は、実に貧相な姿だったにちがいない。おそらく、軍隊のことが気になってはいても、西洋ふうの公園のひとつでもなけりゃ恰好がつかない、というような気持ちが、明治政府のホンネだったのだろう。

そういえば、明治神宮外苑も、青山練兵場の跡地につくられたものだ。こちらが完成したのは、1926年だという。ちょうど昭和1年だ。日比谷公園や明治神宮外苑などができて、東京の景観もけっこう文明都市らしくなったのに、その後のニッポンの歴史は、戦争一色に染まってしまう。思わず「文明」という言葉が出てきたけれど、これは地球上でヒトにしか生み出せないものだ。そして、戦争などというものも、ヒトだけが昔から今に至るまで、飽きることなくつづけている。

きょうの写真は、ぼくの愛犬がまだ子犬の頃に、日比谷公園の中で撮影したものだ。枯れ葉の舞う秋だった。どこかで見つけた大きな枝を、彼は得意げにくわえて来たのだ。彼の中には、英国の先祖たちの猟犬としての血が流れているにちがいない。しかし、いま10歳の彼だが、この10年のあいだ、ヒトでも動物でも、生きているものに対して咬みつこうとしたことが一度もない。ぼくの寝室の床かどこかに落ちていたはずの靴下が、いつのまにか階下の居間に運ばれていたということなら、よくある出来事だ。彼はやはりレトリーバーなのだ。